ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

  • 阪急の地下道を歩きつつ思う。極端な自己愛から極端な自己否定まで30年で行った今だからこそ、中庸を実践出来る時なのではないかと。ダメージは必ずしもハンデではない。ゲインは必ずしもアドヴァンテージではない。プラスティックの薄い板を指でつまんで、右に引っ張ってはじこうが、左に引っ張ってはじこうが、振れて揺れるその動作には違いはないワケで。振れて揺れないこころは、それは安定しているだろう。だが、それ、おもろいか?例えばゼンマイ式の車的なおもちゃが手元にあったとして、ゼンマイを巻かない道理はないだろう。多分巻いてみると思う。欲深い人は目一杯巻くかも知れない。それで何らかの動作をさせて遊ぶだろう。人生とは案外そんなもんかも知れん。