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- 今日こんな日だから暴言妄言を吐く輩が多過ぎて、このような文章になったのだろうか吉野先生は。関係ないかも知れないしそうかも知れない。邪推の域を永遠に出ない。
- 自分を信じると綴って自信。自信とはこのような意味らしい(http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BC%AB%BF%AE&kind=jn&mode=0&base=1&row=0)。自分の才能?価値?と来たか。
- では才能とは何か。このような意味らしい(http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BA%CD%C7%BD&kind=jn&mode=0&kwassist=0)。うまく成し遂げる優れたちから、とある。うまくやれりゃ才能か。鍛錬の次元かも知れないぞ。表現法の重箱の隅突いて皮肉っていてもそこに答えは無い。
- 価値(http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B2%C1%C3%CD&kind=jn&mode=0&kwassist=0)。社会的な意味で言えば間違い無く私には価値は無い。だがそれはどうでもいい。価値。価値だと!?
- 極論してしまえば生まれて死ぬだけの存在なんだ我々は。運命や天命等は負け犬の戯言だ。前世うんぬんなど以っての他だ。我々が今現在生きているのは前世では無い。誰かの前世かも知れないがいちいちそんな事考えてたらクソも出来ない。
- せいぜい、苦しむしかないのだと思う。苦しみや悲しみが無ければ、反問、自問も無い。よって考える、という事を放棄する。問題があるからこそ解決案を極限まで探るのである。問題が無ければ無思考のまま死ぬだけだ。どちらがどうと言う事も無い。善か悪かで判断するのは狭量過ぎるだろう。
- 生きてきて思ったのは、二元性の問題だけでは無いという事だ。好か嫌か、善か悪か、正か負か。そんな単純な事ばかりではない。だからこそ複雑であり、悩むのであり、また、豊かになる。
- 敵か味方か。人種は2種類しか居ないと思っていた。大分経ってから中庸、興味無しの部類が存在する事を俺は知る。横山やすしは色んな人に対して敵か味方か聞いていたのだそうだ。だからその気持ちは良く分かる。分かるんだよ。どうでもいい人、の概念が理解出来ないんだ。
- このクソの様な、或いはそれ以下なこの暮らし、先の定まった暮らしですらポジティブに捉えて生きるのは俺には無理だ。が、まぁ出来る事をやるしかないのだ。苦しむきっかけをくれてありがとう。俺はどこまでも美しくなれる素質を持っているのだ。どこまでも苦しめば良いのだ。
- なんだ、こんな観念、うんと苦しめば西方浄土へ行けますよみたいな。アホか。そんな事あり得る訳無い。苦しめば報われると最初から分かっていたらそんな楽な事も無かろう。苦しみ、悲しみの袋小路なんて事の方がザラだろう。
- 俺にとって音楽は音楽ではないただの手段、道具に過ぎない。別にそれで。それが当然のスタンスだと思っているからそれでいい今後ともそれは変わらないだろう。殺意にも似た、あの午前3時の狂気を、封入するだけだ。どこまでも美しく、どこまでも醜く。
- 中途半端は、最大の悪だ。死を。
- 武器、ストラトキャスター(自分が使っているエレキギターの種類)の弦がバツっと切れた。弦が切れたらギターを綺麗にするのが通例だ。マジックリンで磨き上げて(これきっと間違ってると思うから止めといた方がいいです。塗装とかはげるかも知れない。でも日に10回は石鹸で手を洗う俺にはこれ位全力で手垢、油脂を取り去らないと気が済まないのでやっているだけ)、弦を張る段階で疲れて辞めた。アコギを引っ張ってきたら弦の間に挟んでいたピックが歪んで曲がっていた。暑いのうほんまに。
- アニマックスでふたりはプリキュアマックスハートの再放送をやっている。9時から。見た方が良いよ。やっぱ初代さん2人は格が違う。変身シーンから何から何まで最高だ。キュアホワイトの変身シーンでいつもこいをするのだ。かわいいもんなあれは。アレは良い。うむ。
- 全身が痒い。母親にあせもちゃうかと言われる。あせもて、なに(なった事が無い)?
- この盆休みで、50、60枚ほどのCDを複製したのだが、流石に疲れた。何をやってもすぐ疲れる体質が年々右肩上がりに進行してしまっているのだが、これらのCDの全てが俺の骨肉になっているとは考え難い。この曲のここの部分だけ素晴らしいとかそういう所はしっかり覚えているからまぁいいのかもな。スリップノットの3rdのヴァーミリオンって曲のサビの所だけ最高だ、とか。イントロとか要らんな、と思ってしまうもんな。ともかくこれを売り払って、当面の昼飯代にしよう。
- 音楽を、聴いているというよりはそいつの激情を聴いていると言った方が正しい。どうしてそこでそのコードを選択したのか?なんて問いは無意味に等しい。そのコードに行きついたから、としか、極論としては言えなくなって来る。小賢しいチマチマしたものは俺は要らん。徹頭徹尾そいつの美学が貫き通された激情であれば良い。別に音量をデカくしなくとも激情は表現出来る。いや出来なければ嘘だろう。言葉と同様、伝え方には無限の自由があるはずだ。これも無いとしたら嘘だ。無限の自由があるんだ。さて、どうするか。そこだ。音から、文字から、手癖フレーズから作ったものはもういい。午前3時の狂気から創らねばいけない。
- 俺という人間は生きていて誰かと絡んでいる時には存在していない。俺は俺であって俺ではない。俺は俺の音楽の中にしか存在しない。もしそこで、嘘を付くという選択肢を採れば、俺は完全に死んでしまうだろう。