ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

喪失から二週間

何気なく仕事中サボってニュース見てたら衝撃の報道。
2週間前の金曜日の昼前。気が気じゃなくて何も手につかない。
昼のパンの味も一切しない。良いニュースが出るのをひたすら待っていた。

 

だが良いニュースは訪れなかった。
令和の時代のこの国で白昼堂々テロによる暗殺が行われた。

 

見ていられないレベルの罵詈雑言が飛び交うネットからは
少し距離を置くのが正解なのだろう。
だが敢えてそうしなかった。自分らしい選択だと思う。
今のこの気持ちを、この感情を、いつか忘れるために
徹底的に向き合って置く。

 

一分一秒を、引き摺るように過ごしてきた。
あれ程一日を長く感じる事も、今後はそうないだろう。
これまで親や親族の葬儀でも泣いた事が無かったのに。

 

どうやっても取り返しが付かない事が起こってしまったのは、
一定数の人間の眼には明らかだった。

居ても立っても居られず、二日後の日曜日に献花台に向かった。
正直現場に向かうだけでも辛く、その間に報道を見てまた涙した。
大和西大寺駅までが、やけに遠く感じた。

 

現場に向かう自分に、SNSで繋がっている方々から次々に、「私の分も」とお声掛けを頂く。
こんな感情を共有するためのツールでは無かったはずなのだが、
あの時の自分には非常に励みになった。

 

ならファミリーの前。800m程の長蛇の列。こんな駅前で。
長い行列を、みなじっと黙って少しづつ進んでいた。
その間も、行列に並ぶ方は絶えず増え続けた。

 

場は哀しみと怒りで混沌としていた。
常に背中を支えてくれていた、そんな存在が無くなってしまった感じ。
遺影を見て、ああもうこれはどうしようもなく現実なんだと認識した。

 

目と鼻の先のガードレールに行くのが一番辛かった。
手を合わせる方々がひっきりなしに訪れる。
信じられない程混乱した気持ち。

 

三連休の中日にもう一度伺った。
人数は減ったものの、行列はまだ続いていた。
駅構内の花屋も増員し、スムーズになっていたのが
またなんとも言えない気持ちになる。

 

駅を離れる際、涙を流しながら親御さんに肩をさすってもらい、
一歩一歩ゆっくり帰路につく若い女性の姿が焼き付いている。
我々が奪われたものは計り知れない。

 

気持ちが上向く事もないまま、私はワクチンハラスメントで
就業先が変わる事となり、これもなかなかに精神に堪えている。
まあ自分で選んだ事なので受け入れよう。

 

とは言え就業先の方に本当に良くして頂いたので、残念な気持ちが多々ある。
でもこればかりは就業先に決められる事ではないと思っているので仕方がない。
去り際にはお土産でも持っていこう。こんな事を思ったのは初めてだ。

 

まあ次は見つかると思うんだけど、年収が下がるのかなとか
環境はどうかなとか気にはなる。
就活も並行しているが、何か手に職を付けて独立するしか無い気もしてきた。

 

刃物を持って襲ってくる人間の夢ばかり見るが、
制圧は出来ているのでセーフらしい。

 

要はカネが入って来ないのが自分は辛いっぽい。
「やればやるほどカネが入って来ないとやる気でないでしょ?」
と言われた事がずっと残っている。

 

首も肩も腰も膝もほぼ駄目になった今から、
何ぞやれる事を探してやって行こうと思う。
副業という形で、少しでも小銭が入れば良いなと思う。

 

少しでも上向きますように。