ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

  • 世界は切り拓くもので強制されるものではない。多分きっと。そう思います。
  • 帰ってみると調子が良くなる。なんだかな。
  • 自分は中学の頃に‥もういいか面倒だ。ただ言えるのは、言葉などなんの意味も為さない事象が世の中にはたくさんある。人間以下が絡んで来る事によって人生を害されそうになったらすぐさま逃げなさい。立ち向かう意味なんて無いよ。相手は言葉と神経を持たない人間以下なんだから。なんかどっかで「知的貧富の差」という単語を見掛けた気がするんだけど、自由に好きな事やればいい。きっと。人間以下に辱めを受けてる場合じゃない。多感な時期を、待ってくれない時間を、そんなことに費やすのは本当に悲しい事だ。‥それをやってるから言うんだけどね。そんな時支えてくれたのは家族と音楽だった。だから私はまだまだ死ねないんだよ。うーん美談か言い訳かこれは。ちょっとカッコ付けすぎたか。
  • でもまぁ、学校なんか行かなくてもいいんだし本当にどうでもいいと思う。人間以下と否応無く同じクラスに混ぜられる公立中学を出たら、なんとなく家計の負担にならんだろうって事で(なるんだけど軽減って意味で)公立の高校を選んだ。イキってる奴もいてなんだか物々しい感じだったけど、高校ともなるとどんどんドロップアウトしていく奴が出てくる。3年も経てば人数は半分くらいになってた。勉強がそんなに難しいとか思わなかったけど(そもそも殆ど教科書を開かなかった)、クラスの人間には閉口した。村意識丸出しの醜悪な俗物が喚き散らす教室は中学とは違う意味で倦怠の渦を巻き起こしていた。中学の場合は人間以下と頭のいい奴が同居していた。これは敵わんなぁ(良い意味でも悪い意味でも)、って奴がゴロゴロいた。比して、高校なんかは偏差値で採ってるから大体脳のつくりも似通ってるんだよね。俺以外は。多感な時期をズタズタにされて(ああ被害妄想)ぽん、っと休憩に入ったみたいな感じだった。絡まない限りは隣村の住人として見なされるので非常にラクだった。向こうの村の住人が退屈だと何も為さずにほざいてる間に俺は狂気で以ってして音楽を聴き漁った。と言ってもそこは高校生なのでお昼代ケチってレンタルCDとかそんな程度だけど。毎日毎日隣村の住人の程度の低い倦怠に巻き込まれてなんかかなりウザかったのを覚えているが、家に帰れば毎日ギターを弾いていた。今より更にヘタだった。
  • ロックに未来が無いとか言ってる奴の未来が無いんだよ。
  • そうして正直京都という村意識満開の閉塞地帯にうんざりしていたのでなんとなくだが神戸の専門学校に進学した。大学には興味が無かった。あったけどどうせ空しい遊びをして楽しいなぁとほざく連中の中に取り込まれて終わりだろうと思っていた。いくつか試験を受けた記憶はあるが受かりそうにねぇなぁと思ってたから当然受からなかった。無理やと思いながらやる事が成功する訳が無い。でまぁなんとなくで神戸に行き、片道2時間弱の道程を阪急電車で毎日毎日、そして2年間皆勤で通した。楽しかった。友達の家に行ったりした。きっとこいつらとは一生絡んで行くのだろうと予感させた。俺のこの性格を熟知した上で俺と絡んでくれる友人たちはきっととても素晴らしい人間なのだろう。だが誰も自分の主張を引っ込めない。恐ろしくクソガキ共だ。誰かが軸っていうんじゃない。あ、軸は俺か。悪の枢軸。誰かが言ってたな。
  • 一生近視眼的で孤独で世界を呪い続けていたに違いない幼少時代から比べれば、今はかなり回りも見える様になり、友人も出来た。あそこで死んでたらこうはなってなかったんだよ。それだけでも少し可能性が開けたというか、道が開けたんだ。
  • なので、常に死を意識している人にはそこへ行かないで欲しいなぁとは思うわけだが思うだけで何も出来やしないしする権限を持たない自分がただここにいる。それだけだなぁ。