ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

忘年会。

・忘年会の為神戸へ向かう。久しぶりである。いつもの場所で一人目の友人と出会う。センタープラザの渡り廊下の喫煙所。よくここにたむろしていたものだ。あの時と今の自分はすっかり変わってしまった。ここに来ると、あの時の「時間」を懐かしむ。もう、戻れはしない。そして市営地下鉄で開催地板宿に向かう。友人其の二に出会う。いつも僕を見て喜んでくれる。僕が生きているか死んでいるか心配なのだろうか。人間はそうそう死にませんよ。悲しいほどに。駅前ダイエーでタイムサービス品を買い漁り、百均七輪で焼きまくる。会社の忘年会で遅れてくる友人其の三に電話を掛け、もう喰うものがなくなってしまったことを話す。忘年会の食事は、大勢が箸を入れる彼の神経では耐え難い鍋らしく、電話の向こうで二重に文句を言っている。だがこちらからは大声で「肉旨い」「最高」「あーおいしい」。意地の悪い電話を会話途中でいきなり切断。こんな性格の悪い事も平気で出来る環境があるのは喜ぶべきか。食べ物が無くなり、眠くなったところで友人3が駅に着く。正直面倒なので誰が迎えに行くかで一瞬モメる。が、結局全員で行く事に。うちらこの辺が仲が良い。そして全員揃い、二回目の焼きが始まる。話す時間が、楽しいのかも知れない。そしていつもの喪失感。場が盛り上がれば盛り上がる程、心の中は沈んでくる。そんな瞬間が必ず訪れる。底抜けに楽しむにはどうすれば良いのだろう?もう慣れてしまったが。そして板宿の家主、友人2と早朝までスマッシュコート2。意地の悪い者同士のテニス。プレイが実にセコかった。そして仮眠を取り、麺を喰らう事に。「もっこす」なる所に出掛ける。神戸では有名なチェーンらしい。「並」が600円、「並」&「ライス」&「餃子」は700円らしい。どーゆー値段設定?喰らう。普通に旨いと思う。その時は。友人1が去る。宿に帰り遊ぶ。友人3とテニスる。初心者相手に本気。あまりの酷さに友人2からツッコミが入る。性格の悪さでは負けない(誇るな)。そして帰る。京都に。三宮ではルミナリエで駅南の横断歩道にまで警備員がいた。県民全員が浮かれているようにも見えた。友人3は仕事に差し支えまくって困るらしい。車が走らせられないのは厳しそうだ。阪急に乗り込む。阪急も長く乗ったものだ。一時間半の道のりを二年。車窓からの風景に何度助けられた事か。西宮北口で友人3と別れる。この辺りから気分が悪くなる。麺の脂臭さが抜けない。吐いてもおかしく無かった。十三で京都行き特急に乗り込む。座った席の隣の老人がなぜかビーフシチュースメルを漂わせている。まさかそんなバカなと思ったが反対側で呼吸するぶんにはスメルはしない。原理は分からないが、分かった事は「老人が何らかの方法でビーフシチュ−スメルを出している」、という事と、「今この臭いを嗅がされるのはどこかの拷問に等しい」ということだった。高槻で席が空いた瞬間に移動。こういう行為はホームから見ているとストレスが溜まるものだ。座ろうとしていた席が埋まるのだから。だが事態は急を要する。人間のクズのレベルでイヤホンから音を流し込む。し、死ぬ。社会的に死ぬ。本当に吐きそうだった。そして当然の様に空いた隣の席を(音楽うっさいからね)最後に乗ってきたカップルがどっちに座るかでガタガタ会議をしている。どっちが座ろうが騒音が来るのは明白(お前が一番の騒音)。結局空席の横にずっと立たれるハメに。座ってくるのかどうかピリピリしてしまって結局一番悲惨だった。阪急はいつ乗っても大概不幸になる。河原町〜三宮で600円も払って(金券ショップに行け)いつも不幸な目にあう(今回はただの食べすぎ)。それがまた阪急の魅力である(どないやねん)。変なオッサンは観察対象にはもってこいである(隣だと最悪の旅になる)。そして河原町に着く。何も変わりはしない。京都人だらけである。神戸と比較してもっさい人間だらけである。神戸には良い思い出しか無いので贔屓してそう思うのだろうか。神戸は道が広い気がする。歩行中に渋滞でストレスを感じる事も少ない気がする。ゆとりがある。京都は狭量で何の才能も無いのに己を唯一と信じる人間しかいないように思える。今まで生きてきて建設的or発展的な考え方をする者は皆他府県民なような‥自分の人間関係の狭さを思う。