ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

ぱぃぃぃぃん。

・何もしない日。何もしない日を、もう一体どれ位過ごしたろう。なんとなく夕方に出掛けてみる。外は既に夕闇が。着火点は遠い。導火線も長い。ダメな人間。ダメ人間。人間ダメ。自転車を漕ぐ。なんとなく北へ向かう。鴨川へ入る。別に、入水しようってんじゃなく、無意識に。自転車は思考を加速させる。何を考えているのか。何も考えていない事の方が多いかもな。東岸を走る。クソ寒い中金の無いカップルが数組おる。こんな日位金使ってやれよ。人間嫌いなのか。だったら馴れ合うなよ。所詮浅薄な信頼だろう?分かっているフリをして。何にも分かりはしないのに。いやそんな事どうでもいい。今更何を毒づいているんだ。ちんまい人間やな。府立病院の向かいで誰かがハーモニカを吹いている。その二つ隣のベンチに座る。意味は無い。下手くそなハーモニカにも興味は無い。だが闇に灯る病院の照明と、かすれかすれのハーモニカが、妙に、合う。音を聞くとは無しに聞き、景色を見るとは無く見る。病院の左上の方の部屋の電球が切れ掛かっている。今、あそこには今命を終えんとする人がいる、時間が無くなっていき焦っている人がいる。こちらでは何もせずに、何も出来ずに、バイトもせず、金も無く、ただ、無駄に時間を過ごしている生ゴミがある。余命を宣告されたらば、自分はどういう心境に陥るだろう?「殺せ」だろうか。「死にたくない」だろうか。「まだやりたい事がある!音楽がやりたいんだ!」だろうか。諦めてしまうかもしれない。諦めきれないから、まだ、生きている。成し遂げて、何が残るのか。満足は、終焉だ。常に不満でなければならない。それでは、存命中は、満ちたりえはしない。それは、あんまりではないか?言い訳に等しいが、本当の音楽が理解される事も無くなった昨今に、僕が何か出来る事は、あるのか?聞くに堪えない夾雑音がもてはやされ尊ばれる時代に。貧しく、本当に心の貧しい国で、街を歩くだけで貧しさが溢れかえっている京都ではものを考えることすら愚かに思える。来世に掛けようかな。なんていう思いも脳裏をよぎりまくる。だが、「今」の勝負から逃げた者が「次」の勝負に出る資格は無い。勝てるはずも無い。俺はそう思う。勝負を挑んだことの無い男が良く吠える。そんな愚にもつかない思いが川面の水よろしく、ただ流れて行く。病院の照明が水面に反射する。うねうねうねっている。回転するイルミネーションの様でもある。思えば自分は水面に反射する光束が好きなのかも知れない。宝ヶ池に行っても、嵐山に行っても、鴨川に行っても。哲学の道に行ってさえも、あの小川に浮かぶ光束を捉えに行っているのかも知れない。光束が、ゆらゆら揺らいでいるのを見て、ただ、なんとなく物思う、そんな時間を過ごしに行っているのかも知れない。いつの間にかハーモニカの音も消えていた。ギャラリーが居たら吹きにくいよな、音程もブレスも怪しいのにな、と心の中で毒づき、こころのやまい持ちは病院前を去る。そしてカナートに着く。digirecoが欲しかったとかそういう単純な理由なのだが(ここの島村楽器は全く声が掛からない。最高だ。すると今度は万引きしたみたいな気持ちになってしまうのだが。ワ○○ベ楽器店などは最低一回は話し掛けられないともらえないし、もともと話し掛けられるのは大嫌いで電気屋でも店員が寄ってくれば逃げる程、神経を常に張り巡らせて欲しい物を最小の時間で見るような人間なのに、フリーペーパーを貰いに行くのに声を掛けられるのも気が引けて困っていた。十○屋に至っては配布すら止めてしまった。残念)、hmvをころっと物色して(欲しいcdがあるのだが予約するのは気がひけて未だに買えない。マイナーなものなので余計に)本屋に向かう。殆ど買わなくていつも物色するだけの漫画コーナーに向かう。一念発起して前から欲しかった(そんなん多いよな)「純情パイン」を購入。読み切りの「純情チェーンソー」で怪人をぶった斬るシーンが無くて残念。ジャンプは後「コスモス」が読みたい。チンピラ共が罪を自分たちに擦り付けた権力者共に人誅を下しに行く‥みたいな話だったが、当時のジャンプは読み切り=即連載な雰囲気だったので(ろくな作家が居ないから今もか)、「あれっ」とかなり肩透かしを食らったものだった。背景がジョジョの荒木風とでも言おうか、確か太陽に顔描いてなかったっけかなw 請う単行本化。