ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

やっべー。今日から本格的に働いた(といっても雑務)。えげー*1。もう無理。むりぽ。目が回りそう。何も役に立ってないのにな。何もしてないのにな。なんなんだろうなこの執拗に襲い来る切羽詰った感は。いつからだろう何も出来なくなったのは。相変わらず初日とかは手が震える。いったいど−したんだろ。みんな優しい人ばっかやし。なんかその優しさが逆に痛え。かといってわっと言われたりしたらまた何も出来んのだけどな。どうしたんだろう。やっぱ社会不適合か。ずっと前、小昔に寝る前にらしくもなく神に祈ったことがあった。陳腐な才能とやらに限界を感じていた矢先で、俺は死神に祈った。「死神よ、もし貴様の存在が実際にあるとするならば、寿命を削ってでも良い、全てを捨てても良い。神の曲を、神曲を。その力をこの手に」。「全てを捨てても良い。」なんて言ったのが聞こえたのか、聞こえなかったのか。運が良かったのか、それとも運が悪すぎたのか。本当にそれから独り善がりの恋が終わり、恋慕の情は次第に薄れ‥るわけも無く。次々に色んな人が俺の横を通り過ぎていった。ごく、あっけなく。常日頃から死ぬ事だけでなく無力感と無能感にまで苛(さいな)まれるようになって来た。死ぬ事だけを考えられていた時期はまだ良かった。毎日毎日神戸へ通い、阪急のホームから身を投げようとするのを死ぬ気で抑えているだけで良かったのだから。家では平生を装い、学校へ行けば笑いを取る。太宰の言うところの「道化のサーヴィス」である。かつて横山やすしも、家でこう呟いていた、「キャラ変えたいなぁ」。キャラっつーか、人格変えたいわ。もう。適当に安っぽい感性で暮らしたい。CD買わされてる位がこの国では丁度いい。しんどいしんどい愚痴りまくるだけの友情関係で充分。なんかこないだウチの新聞に入ってたチラシなんやけど、先を心配しすぎて何も出来んくなる精神病的なものが出来ているらしい。そういう、病気だと認識することで心の平安を得ようってわけではないけれども、なんだかそういうきらいはあるのだ。みんな大なり小なりそうかも知れないけど。しかし自分はそれが大き過ぎるのかも知れない。どの道長くないかも知れない。音楽しか出来ない身になってしまったのだろうか。それなら、願いが叶った事になるのだろうか。何かと引き換えに願いをかなえてくれる神龍、あなたならどんな願い事をしますか(しないって。人はリスクの無いものを選びたがるもの)?

*1:hope曰くえぐいと言いたいらしい