ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

しごとなくても

風呂上りに母親の肩を叩いた。キモがられる。財布を隠したがる(取るか!)。周りに何か武器らしき物がないかキョロキョロしだす(背後やからね。無防備やからねっておい‥)。最後はちょい話デカくしたけど、今は気持ちが休まる事もない。なんだ、仕事って、あってもなくても安らげへんのか。精神の安定を取る為に殆ど長続きしなかったバイトの数々。ヘタレ。罪悪感。残尿感で一杯(なるべく早く医者行け。な。)。きっと俺だけだろうな。研修だけで終わったのって。もう皆に会えんな。情けないし。あーあ、二世か金持ちの家に生まれて他人の気持ちなんて一生分からんまま死ねたら良かったのに。ペラペラ回るやすもんの舌や、無駄に考え込む脳、ドン臭い体。一銭にもならんのだ。金。お金です。世の中お金です。って、俺もこういう事言うようになってしまったか。そんな人たちにはなりたくないなぁ、と思ってここまで来たのに。結局、染められて、負けるのか。否、まだ、これからだ、信じたい。飯を喰う為に稼ぐ。では我々は飯の為に働いている、と言うのはまだ聞いた事がない、だかなんだかって一節が太宰の小説の中にあったなぁ。神戸時代から封印してきた太宰をまた引っ張り出して読もうと思う。あれ読んだら滅入るから避けてたんだな。「人間失格」と「晩年」。葉蔵の病院での話を読むか。ああ、ロクな事が無かった人生。もう、終わらせようか。根性も無いのにそんな事言うべきじゃない。あーあ、なんも言えん。街を歩き、俗物に唾を吐いたって、その人は自分なんかより遥かに苦労して生きている偉い方かも知れない。なんも言えん。誰に対してもなんも言えん。思念がひたすらに沈殿して行く。一銭にもならん有象無象の集合体が。ショットガンでふっとばすか*1。ふわっと、蒸発してしまいたい。過去に何があったかと言えば、憎悪と悔恨と醜悪なだけの日々。未来には、伴侶なんてどう逆立ちしたって出来るわけもないし、数十年後なんて想像も付かないしまた生きていたくもないし、独りで何が出来るか、いや何もしたくない。家族は皆死んでるだろうし。現在は空虚で、ただ時間だけが流れている。焦りと共に。だから、過去にすがれるわけでもなく、未来に希望を持てるわけも無く、今フラフラになりながら足元も見えぬままもつれ、絡まって、すっ転びそうになっている。どうしよう。なにが、何のために生かされてるんだ。いや、自分の意志で生きているんだと思っても、神やら仏やらなんか知らんが高次の存在に、そう「思わされている」だけのような気がしないでも無い。「音楽なんかじゃなぁ。飯も喰えんしなぁ」と言われると、「ああ、そうか。安定した生活の為にしっかり働かなければいけないのかなぁ」などと思ってしまう。再三言われると、もう、どうでも良くなってくる。衝突を避ける日々。自分の意志すらも消えて行く。消えないのは、存在だけ。消えてしまえわがこころ。消えてしまえわが記憶。消えてしまえわが人生。消えてしまえわがいのち。大多数ののぞまれたいのちとは違い、のぞまれていないいのちもある。「生むな」と言いたかった。楽しい事なんか、ない。何が楽しくて生きているのか。いや、楽しむ為にだけ生きると言うのはない話。では、こころから笑える事って何。誰といようが疎外感を感じ、他人の話を適当に聞き、また適当に受け答え、またそれで通ってしまい、ダラダラ聞き流すだけの体たらく。とかく他人の話には興味がもてないらしい。かと言って何かについて語るわけでもなく。おってもおらんでもええような人種。もう溜め息しか出ない。家人が寝静まった頃、最近では初めてこんな風にバカみたいに夜更かししながら恥まみれの文章を思考を介さず打っている。ただ、ひたすらに。何かしたい仕事ありますか。ありません。生きていて何かしようと思った事はありますか。ありません。何のために生きていますか。恥の上塗りをする為です。夢はありますか。夢なんて見ないです。何の希望もありません。パタっと、消えられるような、何かがあれば。失踪しようか。どこへ。東尋坊?樹海?ベタ過ぎる。死体を見れば和んでしまうに決まっている。なにかこの、20歳前で既に燃え尽きてしまった自分の感情に、もう一度ギアを掛けたい。そのためには何が必要か。何が‥。いやだから、街でCDを試聴して、「だから俺の曲やってくれよ!そうすれば俺の存在意義は全くなくなるんだから」なんて思わんで済むように。なんだこれが鬱か?こんなもんが鬱か?私は大勢の凡人と大差なしか。こんなもんは鬱ではなかろう。前が見えないだけだ。数cm向こうからは漆黒の闇で見えないだけだ。だからどうした。進むだけだ。前が崖だろうが知るか。落ちるしかないなら落ちればよかろう。それだけだ。とまぁ、こんな風に起伏の激しい奴を飼いならすのは自分ですら大変なのに、他人様、いわゆる親友様たちはもっと大変だろうなぁと思います。大学行っとけば、とも思うが、神戸で親友が出来なかったら、ずっと自分が腐ってるから孤独だと思い込んできた自分を、認めてくれた彼らがいなければ、今、どうなっていただろうかと、ぞっとする。高校時代までは、貧しい人しかいなかったので、友人を作るかという気にもなれず(作ると言う言葉、なんかおこがましいと思いませんか?「彼女を作る」って言い回し、僕は大嫌いなんですよ。「モノ」かと。)、独りで昼休みは図書室で読書。帰宅部。そして、ギターノイズ。汚れてしまった自分だから、純粋な、綺麗なものに憧れる。それは、自分には無いものだから。「薄汚れてしまった悲しみを」。時たま、サンボマスターのライブで俺の心に直接響いた言葉たちを思い出す。フザけてなんかない。本当に美しいものは、最早誰もが分かる、というものでは無くなった。そこで、自分が、何が出来るかなんて、考えただけでも萎縮する。拙い歌で、誰を救えるか。いや、おこがましい。自分すら救えないままに誰を救うのだ。手塚治虫の「ブッダ」でガウダマが、「私には無理です」と言う。「私にも無理です」と僕は言う。次元はまるで違えど。「俺な、こんなん思うけど、どう?」って問い掛けても、いくら音楽を通して問い掛けても、伝わらないんじゃないかって思う。絶望的なほどに。時代が悪い。人間が悪い。なんだ、泣き言か、言い訳か。こき使われて終わった3ヶ月。一瞬で終わった。一瞬で、全てを変える。宇宙の法則から。根源から。私は、生まれ変わる。段々、キナ臭くなってきた。窪塚っぽい事を言い出しているなぁ。素でラリってるからタチが悪いか。まぁいい。それもまた、ひとつのかたちだろう。理想の最後は鳥葬だ。カケラも残らず死ねる。斎場の職員が事務的に「ここは〜の骨で〜」ってやってるのが堪らん。震える。己の手で触るなと。なんだ、もう睡魔が来たのか。若いから寝んでも大丈夫やろって嘘やな。寝な、無理。竜じい並に、無理。末期か。母親がガンじゃないかだけ怖い。ヤブばっかにかかりやがって。医者変えろって言ってるのに。他所行ったら「〜と〜と〜、切った方がいいですね」言われてビビってんの。「向こうは商売やし切りたがらはるねん」。そういうときは、ハシゴしなさい。何の話だ。ああ、そうか。というか、実際の生活でも話題がポンポン飛ぶのが私。話振ったら、その時点で飽きてるもんな。ああ、いいまとめ方が見つからない。オチまで行かなネタは終われんぞ。ていうかこれネタか。もうええわ。あ、終われそう。

*1:私が敬愛して止まないNirvanaのG/Vo、カートは、自分の頭をショットガンで打ち抜いて死にました。享年27歳