ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

  • 風邪も引いていたような気がする。故にクソ寒い。半年振りくらいの風邪。
  • 注射を9箇所も打たれる。レントゲン撮って、指で痛いとこあるかー、言いながら先生が抑えてくれはるんやけど、そんな力入れたらどこでも痛いわと言い返す俺。注射は未だに苦手だ。
  • 病院の決まりが変わったみたいでいきなりデカい病院に行ってもMRIとかやってくれないらしい。ちっちゃい診療所とかで診断書を書いてもらわないとダメらしい。この状態で明日明後日を乗り切れるのだろうか。
  • とは言えヘルニアと診断され手術が必要になったらもう会社おられへんね、とふと思う。派遣会社に労災を申請せねばな。急に月曜日休みになっても何して良いか全然分からない。結果的に連休になって落ち着けて良かったけど。
  • 前に腰痛で近所の診療所行ったのが3年前。腰の方の骨が歪んでいる。その時から。手術が必要になりリハビリする事になったら矯正とかしたいな。出来るのかな。
  • 思えば、クソ以下だった中学校の体育祭の組み体操で初めて腰が「ピキッ」って言った。そこからだったような気がする。高校3年の体育のバスケで左膝膝蓋骨骨折。受験を控え半年位サポーターで過ごした所為で、術後も極端に左右の筋力バランスが変わったまま。
  • 高校3年、卒業、進路が決まっていた専門学校を1年休学する事にし、手術。術後次の日よりガチガチにリハビリをやる事に先ず戸惑い、看護婦さんに迷惑を掛け、病室でジミヘンを聴き、追い出されるように退院、その後もリハビリに通いつつ、ひきこもり生活を半年以上続ける。FF7を極めに極めながら考えていた事。ナイツオブラウンドをプレイヤー全員分確保しつつ考えていた事。音楽の事、人生の事、あらかじめ決められていた僕の将来の事について。そうして、幼稚な精神の相手を誰もしてくれはしないという絶望について。死について。膝に大きな傷が残り、触れても感覚がもう無い左膝。片輪になった気分。毎日毎日CD屋を徘徊しては何かを考えて何かに怯え何かに悲しみ何もかもに絶望し。その頃はまだ信じられる友達が一人も居なかったので、常に絶望的な孤独感に徹底的に押し潰されては死に憧れていた。そんな事を、ヒマにかまけて、ふと、思い出していた。
  • 片輪や不具になる位なら死んだ方がマシだと思っていた自分にとって膝の怪我、術後の傷はその後の自分に大きく影を落とした。諦める事を覚えたのはその頃かも知れない。同時に、それでも時は流れて行く、と今まで思っていた事を更に実感として理解したのもその頃かも知れない。府庁前の第二日赤に入院していた頃のお話。今からおよそ、8年前の話。結構経ったな。