ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

  • ミクシーで何か知らんが病んだ人とばかり知り合う。まぁ類友なのかも知れんのだが。かつて私が辛かった時に手をさしのべてくれたあの人の様に、何を言っても無駄なのは分かっていても手をさしのべてくれたあの人の様に、俺もそうしたくなって、そうしたのだが、結局救う事はおろか、自分で気付いて貰う事も出来ぬまま、彼女らの心を荒らしてただ去る事しか出来なかった。地ベタに叩き付けられて、血ヘドを吐き散らして、その時に、初めて、上に行きたい!そう思って貰わなければ、話が進まない事は経験上知っている。ふくちゃんや、じゅびねえさまに手をさしのべて貰った時、私は辛さの余り彼女たちの話など聞こえては居なかったのだ。同じ言語で会話する人種なのに、言葉が一切通じないんだぜ。なんと悲しい事だろう。なんと私は無力なのだろう。そう、無力感をひたすら感じながら去るしか出来なかった私だが、手をさしのべてくれた彼女たちも同じ気持ちで私の元から去っていったのだろうか。それを思うと本当に申し訳なく思う。こんな無力感、こんな敗北感、感じたいわけはない。だがそうまでしても、何かしたい。そう思ってしまうんだよね。そんな私はお人良し。干渉するのももう止めた方が良いのか。人間が嫌いになりそう。自分が嫌いになりそう。かなりぐったりしてしまった。
  • 実家に帰ってきて二日でもうぐったりしている。居たくないこの空間に。何をやるにも気力が沸かない。無気力。ギターも全然弾いていられない。こんな時はどないすりゃええねんとググれば「何もするな」と。いやいやそんなワケはないだろと思って足掻く。独りで住むための物件を探すと、実家の近所で安い所結構あるじゃないか。うわ、テンション上がってきた!
  • ギターは本当に弾いていられない。心の中に何も鳴っていないんだ。常に心の内に何らかの音が鳴り続けていたのに。それらを少ないスキルでアウトプットするのに精一杯だった。常にそんな状態で、常に時間が無く、やりたくもない仕事に忙殺されて。うんざりだった。今はもう。音はない。心の内が無音だ。白髪が増えて、もう終わってしまった人は歩けなくなってしまった。夢破れた後に惨めたらしく楽器を持つ事自体が恥に思えるのか。なんなんだろうか。中途半端なプライドの燃えカスがまだ心のどこかに残っているのか。分からない。ただただ心の中は穏やかで、もう二度と音楽は鳴らないのかも知れない。豊かさや、楽しさ、喜びについての曲を書いてみたいのだが、それも叶わぬ夢かも知れない。結婚も夢も諦め、生き長らえている事自体が無意味で恥ずべき事と感じているのかも知れない。有名になって発言力を得た後の事を夢想しても、ではその発言力をどう活かすのか、サッパリ分からない。誰かを糾弾するのか?よせ、先制攻撃は反撃を生むだけ。音楽を創りたい。ただその純粋衝動が今は生まれない。絶望しないと曲は書けないと思っていた。絶望の淵から這い上がる力が俺に曲を呼び寄せるのだと思っていた。絶望し切ってしまうともう何も無いのか。もう何も生まれず、死を待つだけか。音楽がなければ構わない、か。毎日毎日ipodから音楽を注入し、違和感を覚えながら他人の音楽を聴き続け、それは違和感ではなく、全て全く違っていた事に気付く日々。全然分からない。どうして良いか分からない。後30年、妹の面倒を見続ける。後30年、踏ん張る力がもう一度戻るのか。1年半休んだが皆目見当は付かない。さて、どうすべきか。