ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

  • 人間は変な生き物で、限界がある方がのびのびやれる。CGや技術が進歩して、表現の分野ではありとあらゆる自由が許された。が、それ故に不自由になってしまった。くそつまらん作品(笑)ばっかじゃないか。
  • ビートルズの時代は、オープンリールしかなかった。名曲かどうかの判断基準は「覚えているかどうか」だけだった。テープの時間が限られているので一発録りでも大丈夫な様に腕を磨くし、ある程度カタチにしてから行く。今は違う。だらだらやってしまう。本人が忘れていたものですらカタチに残ってしまう。これじゃな。
  • 子離れ。
  • ぬるい職場で初めてと言っていい位に働いた気がする。帰りの電車の中で眠ったのは初めてだ。大体きれいな人がいる車両に行く癖が付いてしまった。そのうち痴漢のえん罪で捕まってしまうかも知れないが、その時は裁判員にはもういっそ殺せと言おう。痴漢する位なら風俗に行くよ(え)
  • 無償の愛とは。んなもん存在せん。自分が俗物である限り。
  • 今の自分は平和で穏やかだ。導いてくれた人たちに感謝したい。またあいたい。二度と会えない人々に会いたい。
  • モーニングページをサボったので今日はこっちに書いている。考えれば十年前位からこれを始めたのは、書かずにおれなかったからで、まぁ、モーニングページみたいな事を自然とやってたんだろう。紙がもったいないからネットに書いた。書けるだけ、書きたいだけ毎日書いた。書かずにはおられなかった。話し相手も居なければ、友人もいやしない。まして恋人などいるはずもない。そんな事考えるだけ無駄だった。
  • この制約された環境の中では、幸福など手の届かない場所にある。だがしかし今日気付いたのは、制約があるからこそ、恋に本気になれるし、音楽を美しいと感じるし、友人達との戯れを楽しいと思えるし、酒が旨いのだ。これがもし、なんの不自由もなく、日本語も不自由なく話せて、アタマの方も不自由がなかったとすれば、ここまで、誰かを想う事が出来ただろうか。ここまで、感受性を磨く事が出来ただろうか。ここまで、マヌケにならずに済んだだろうか。可能性を考えると、そらおそろしい事が分かる。自由がないからこそ自由なのだ。天才。ちょう天才。今良い事言ったな俺。
  • 最近楽器屋に毎週末土日ずっと通っててベースをずっと見てる。ヴァンザントがオーダーシステムを辞めてしまうらしい。残念。まぁオーダーする程のものでもないけど、レフティベースが欲しい。
  • 他人よりは鋭敏でありたい。他人より美しくありたい。誰と比較しとん?
  • 心が穏やかな日々を過ごしております。これで愛人でも居れば申し分無いんだけど、神さんはそこまでの贅沢を与えてはくれないようです。まぁ探してないってのもあるけど。友人には探せとか見つけろとか言われるけど。まぁ一人の時間も良いものよ。負け惜しみ半分、本気半分。
  • 民主主義ってのは暴力。大多数のアホが勝つ。第二次麻生内閣を切望している。被災地復興の具体的なプランも持ってる。比肩しうるものですらないが、民主党とは違うのだよ。マスゴミは二大政党なんて煽るけど、保守と売国じゃアカンわ。
  • CDを借りまくっている。見たい絵画展も無いので、なるべく感受性に刺激を与えようと。bibioがめっちゃ良かった。おとぎ話みたいなサウンドは、これは俺には作れへん、凄いと単純に思った。全身全霊で、おとぎ話を書いている。俺はこれを聞いていると、なんだか涙が出そうになるよ。

  • 私を助けようとしてくれた人々を蹴飛ばして、どんどん孤独になっていったあの日々を何とも言えない気持ちで思い返す。前の彼女も、逃げて逃げて、追い詰められて死ぬ寸前まで行かないとダメなんだろうな。謝らないし、人を人とも思っていない。思っているのだろうけど、思わない様な言動をして、誰かを遠ざけて。そして傷付いて。笑っていてくれる事をせめて願う。中途半端に好きになったりはしない。
  • 紙に書くよりやはり俺はタイピングの方が向いている様な気がする。紙に書くのは、「遅すぎる」。脳と直結しない。
  • パナップ食うの忘れた。
  • お小遣い帳を付け始めたのだが、抜群に出費しているのが酒代だった時のこの空しさよ。飲まなやってられへんわ!一人で寿司食って唸ってるオッサン。
  • 筋トレを初めて結構経つが、きもち、背広が入りづらくなってきた気がする。背中がなんか、膨らんだ様な。それが脂肪でない事を切に願う。
  • これを始めた頃の様に、みんなで楽しくやって行けたら良かったんだ。近くの知人より、いつも遙か遠くに住む赤の他人が俺を助けてくれた。仲良くしていたかっただけなのに。
  • 誰かを好きになる事は絶望でしかなかった。どうせ、破綻する事が目に見えていたからだ。正確には、自分でぶちこわすんだけど。ぶちこわすのが人間関係なのだと、幼少の頃の体験より身をもって学んだ自分は、本当に大切にしたい関係程、ぶちこわした。その度に怒り、悲しみ、苦しみ、携帯電話はグレネード弾と化し、我が家の壁を爆破した。私が自分で心の壁を爆破するには、あれからまだ数年の歳月と、途方に暮れる程の絶望と悲しみが必要だった。なまじなんでも出来るので、少々死に掛けていても仕事は出来たのだ。それが逆に良くなかった。仕事を辞めて引きこもって正解だったと思う。その事に関して何らの後悔はない。給料がバイト並になったのも文句はない。必要経費だったと思える。永田農法と同じで、叩かれてなお這い上がらない限りは弱いままなのだ。18歳の頃の自分とはもう別人だ。彼には今の自分は嫌悪されるかも知れない。けれどもし出会ったのならば、何かきっかけになればいいなと思ってまた色々お節介で言っちゃうんだろうな。そしてまたうんざりされるんだ。どうも世話を焼きすぎるらしい。その辺は母親の過保護過干渉の賜。見事に刷り込まれているのが恐ろしい。狂気を孕んだ凶器やね。
  • 光市の判決にみんなざまぁつってたな。あいつは二回死ぬべきだ。それくらいの悲しみと絶望を味わいながら惨めに喚き散らしながら死ねばいい。ご主人がまた、強い、かつ、誠実な御仁なのが日本国民の心を打ったのではないか。数年しか年が違わなくてちゃらんぽらんな私とは比肩しうるべくも無い。同じ事が俺に起こったとして、あれだけの品性を保ちながら行動が出来るだろうか。死刑、命の重み、傷、人間とは。風化させずに、考え続ける事が大事なのではと思う。自戒を込めて。