ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

・午前一時。やっと相撲ダイジェストが始まる。俺はなにやってんだか分かりはしない。

・休みは当然引きこもる。ぼけーっとオセロをやっても、何もありはしない。外出しようと思っても雨が降りそう。去年今年と雨ばかり降ってる気がする。雨が降ると何もしたくなくなる。元から何もしたくないのに。尚更である。邪魔するな。ああどっかへ行きたい。何処へ?何を求めて?其処に何がある?何処に何がある?猿の惑星で最初にいきなりミイラ化している人のようにピッとスイッチを入れるだけで永遠の眠りに付けるベッカムカプセル状の物体を松下辺りが作らないかなぁ。苦痛も無く死ねる様な物は売れると思うけどなぁ。いくらするか知らんけど(国に認可されんっつの)。そんなロクでもない事を考える雨の日。降るなら俺が外に居ない時にしてくれ。

・「貧しい世界 滅んでしまえ」退廃的な詞を思い付く。こんな詞を思い付く自分がの方が貧しいのは重々分かってはいるが、戦争を始めようとするバカな大人や宇宙までも自分の物にしたがる猿顔の自己中や、頭の回転の悪い「人間」や感性の貧しい「人間」や芸術を解さないマッチョ思考な「人間」や力も才能も優しさも豊かさもなんにも無い唯我独尊「人間」や‥。あー枚挙に暇が無い。全部自分に当てはまる事柄かも知れない。疲れているのかも知れない。雨の日はロクな事を考えない。晴れの日は死にたがる。えーっと‥、ずっと雪でも降っていてくれ。

・オセロ中の会話で(人付き合いが面倒で始めたものの結局そういうことに巻き込まれている)京都はなんもないよなぁみたいな話になる。その前に既にあからさまに故郷をけなされた所為もあるのかも知れないが、微妙に負の感情になる。余所者に言われたくないような気もするし、盲目的に崇拝されるのも気がひける(難儀やなぁ)。
京都人はよそもんには極端に冷たい。しかしいったん信頼されると、その信頼は多分何処の他府道県よりも深く実感出来るものとして手許に残るだろう(一概には言えやしないが概ねしてそういう傾向がある。あくまで「だろう」)。そんなひねくれ者の街京都。そんな場所にでも僕は誇りを持っているのか。やはり故郷を愛しいと思うのは「元・人間」として普通の感情と言う事で片付けても良いのだろうか。眠た目で書く文章(紛いのゴミ)はいつも以上に支離滅裂の様相を呈している。明日は目覚めませんように。