ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

  • 最近はあまり何も考えていない。刹那的に仕事をし、刹那的に人と接し、適当に場を取り繕って、帰る。家に帰れば、母親のここ100年は聞かされたであろうパート先の話を聞かされ、過保護の母親以上に過保護な叔母の話を聞かされ(バカなんだよこいつら子離れしやがれ鬱陶しいんだよ)、妹が喚き散らす中自分の部屋に逃げ込むが、通路上に俺の部屋はあるためにプライバシーもへったくれも無い。家中の全ての雑音が聞こえてくる。そんな全ての雑音を、俺はデスメタルで吹き飛ばし、dsをかちゃかちゃ触って眠りにつく。そうして妹が喚き散らして俺が本気で切れる要素を含む「睡眠の妨げ」を受け、拳で会話をしに行くワケだ。そんな僕が居なくても回って行くような回って行かないような微妙な環境で(どっちかにしてくれ)、安息など何も無いはずだが、ここ最近はむやみやたらに仲良くなってしまった人に癒されている。別に何がどうという事も無いのだが、お互いクソガキで、でもそこそこに優しいので、気が合う(俺が「そこそこに」と言ってしまったという事は、「常人」の、「過剰」)。二人寄った時の空気とか嫌いじゃない。決まり切った下らない未来や可能性の全てを、忘れさせてくれる。
  • 佐伯祐三の絵を見に行こう。あんなに生き急いだ絵を描いたのは彼だけだ。ただの家がただの家じゃない。こう、ただの家を斜めに描く事で疾走感が出るのだろう。どこまでも走り切って燃え尽きた。平伏する。
  • そう、もう最近は、あまり自分を卑下したり、死について考える事が少なくなったんだ。
  • 俺が気付かない内に気を使ってくれる。判断力と察知力が10代の頃より驚くほど落ちてしまった俺の神経では到底察知出来ない。気を、使わないでくれ。されたかどうか分からないから。俺は何もかもコントロール出来る、分かっている状態が好きなんだ。でも最近は、分かって無くてもいいかと思う、というか、普通に分からないというアホさ満開振り。変わって行っている。日々穏やかになっている。完全に敗北を認めた日から、徐々に変わって行っている。終わって行っているのかも知れないが、最早そこは別段問題にもしない。全ては流水の如く。留める事など、できやしない。
  • 終わってしまった事を、終わりだと思わないようになった。意識すらしない。適切に穏やかな日々が続いている。後半年。少し休ませて。
  • この部屋のどこかにいるかもなゴキブリに帰ってくれと言いたい。実家へ帰ってくれと言いたい。
  • この変化は、あなたのおかげだと思っている。心の中では常に、最大限の感謝を忘れた事は無いんだよ。僕に関わってくれた全ての人に、ありがとう。