ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

  • 朝起きて、母親のチャリンコ(電動モーターで軽く進める奴の初期型)を借りて二条城前駅へ。漕ぎにくいわハンドル低いわでふらっふら。朝もはよから暑い暑い。うんざりする。そうして駅に着いて鍵を挿してヒネってもヒネれない!要するに鍵を挿し込んだ状態からヒネれないのだ。よくよく注意書きを見ると、「追加料金をお支払い下さい」だそうだ。2日分のロッカー代600円。なんじゃこれは。ラーメン一杯をドブに捨てた気分で帰る。
  • うんざりしたのでひきこもる事にした。
  • 母親カレーを、つくるお手伝いをしたい、と言うか伝授して貰おうかと思ったがタマネギ切ってたら手まで切ってしまった。こういうしょーもないミスが人間として、神経、感情の劣化具合を如実に示してくれるので、本当にいちいちうんざりする。カレー用のお肉(サイコロステーキみたいな奴)を炒めて、味付けした所で何個か取り出してごはんをよそって、朝ご飯。夏バテ気味の母親にも勧めるが、朝一で肉など、と言われる。もうすぐ26歳ですが朝からステーキでも食えるぞ。
  • ある程度仕込み終わって思う、俺は、食べる専門だな、と。
  • そうして無条件降伏、ポツダムひきこもり宣言を受諾したのでテレビにつなぎっぱなしのスーファミで遊ぶ。ゼルダの伝説神々のトライフォースをやる事にする。男ならセーブせずにクリアしてセーブデータにゼロを表示させるべきなのだがそこまではめんどくさいのでパス。このゲームも割とやり込み要素が無いようであるので、一気にやるとうんざりしてしまう事が欠点だ。基本的に考え事をする為だけに、ゲームは存在している。
  • 昼飯は、日清、行列の出来るラーメン屋、和歌山、チルド。最強だ。ダシを煮詰めて煮詰めて和歌山っぽくするのが俺流。ボッコボコに沸き上がって来るスープに己の激情を投影せよ!口じゅうそこかしこ火傷しまくりながらも気に留めずに喰らい切る。ラーメンは瞬間の美学だ!
  • 飽きたのでゲームを止める。そうして出かける事にする。暑過ぎてうんざりする。誰がこんな事しているんだろう。人が嫌がるのを見て楽しんでいる奴がいるのかと勘繰ってしまいそうになる、ならないよ。
  • 「没後10年 麻田 浩展」(http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2007/357commentary2.html)へ。京都国立近代美術館へ。近代美術館とかどうもウマが合わない。きれいなだけであった。作者の写真を見たが、まぁ、平和そうな方だった。きれいなものを、きれいなまま、見たものを、見たまま、と言えばいいだろうか、作者の言葉が作中にまるで含有されて無いというかつまりはハズレだった。
  • なんとはなしに絵を見てたら(あまり目に入ってはいないのだけど)、外人さん(かわいい)が、俺の前を横切らないように気を使ってくれた。別にいいのに、とも言えず(そもそも何語で話せば良いのかがまず分からない)、目を合わせる。通じ合う心。こい。これはきっとこいだわ!!‥こほん。こういう微妙な心遣いとかでやりとりとかを俺は欲す。「俺は欲す」なんて、文学者気取りな表現臭いな。
  • 同時開催の「文承根+八木正 1973-83の仕事」(http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2007/358.html)も物色。スカのようなものを見た後は嘘でももっと何かを見て嘘でも引っ掛かりたいのだ。何でも見るよ。常設展の様な形だったのか、あまり細かい事にはこだわらない私なのでその辺はさっぱりなのですが、まぁこれもなんて事の無い。なんて事の無いものを大層に持ち上げる事に絶望と怒りを感じる。風呂のすのこに名前を付けて作品と抜かしているような状態だった。コーナンで売ってるってそんなん、って感じだった。まったく思索も思惟も思案も見受けられない「作品」群を目の当たりにして、やはり近代美術館と俺は合わないなぁ、と心は成田離婚の様相を呈していたのだが(成田離婚って死語か)、一枚の写真があった。
  • その一枚の写真は四条河原町から北側、河原町通りを写真で撮ったものだった。1973?年辺りのもので、俺が生まれる数年前のもの。河原町通りに市電が走っている。これは知らなかった。ビフテキのスエヒロがまだ残っている。ナガサキヤがまだある。ナガサキヤでチーズミートソーススパゲッティかなんか食ったなぁ。陰気臭い店だったなぁ、とか、回想されて良かった。この写真と今現在で、共通して存在している建造物は寿司屋のひさごのみ。オーパ横のちっちゃい建物。きっと立ち退きを迫られ続けている事だろうが断固拒否して欲しい次第。この、当時のもっさい街並がたまらなく良いのに。当時の車はデザインがもっさ過ぎる。だがそこがいい。今の車はカッコ良すぎる。要らない。もっさくていいねん。もっさいのがいいのよ。うん。
  • 年輩のオッサンみたいに景観がどうこう言うつもりは無いが、今の京都には要らんものが多過ぎて。とは言え東京ほどデカくもなりきれない非常に中途半端な街の様な気もする。
  • 祇園、花見小路を通る。新築の「町屋の紛いもの」に辟易する。これは今に始まった事ではない。今お茶屋さんってどの位あるのだろうか。どんどん減ってきているような気はしないでもないのだがその辺どうなんだろう。
  • ふと、祇園の小道に入る。誰もいない道。ふと、舞台上に居る自分を想像する。瞳孔がみるみる開いて行くのが自分で分かる。誰も彼も殺してしまえるほどのテンションに。その場全員死ねば良い。そういう。自分のいる位置を再確認する。戻れない場所もあるのだ。
  • 不思議なのは同じ様な事をミネッティも雑誌の取材でそういう風な事を言っている。「全部自分でやっちまえば一番手っ取り早いが、そうしないのは」みたいな事とか「ライブでやり切った、やり切れなかった」とか。雑誌を読んだ後、あのレベルの人でも自分と同じ様な事を考えてはるんだなぁと思った。バンドやってる人は心構え的な部分、参考になる所も多いんで是非ミネッティの記事を読むべし、と俺は思う。
  • 今からライブでもいいよって感じだ。血液が逆流するほどの激情を。
  • そういう所がシグルイの新巻とリンクする。権左かっこええわ。マジで。でも繋がりを断たないと上には行けないという表現はシグルイ的にはありだろうが今の自分的には無い。分かるんだけどね縋るもの帰る場所ある奴は勝てないって。俺は負けてもいいかなと。俺に負けさえしなければいいのだろう。
  • ナイフで傷だらけにしようかとか千枚通しで目を抉ろうかだとか硫酸で頬を焼こうかだとか吹き出物で埋め尽くそうとか通り過ぎる人全てが嫌悪感で以ってして振り返るような異形に整形しようかとかでもこんな男前に生まれたのに(思うだけなら本人の自由です)そんな事言ってちゃブサイクな人に申し訳が無いとか(どんだけ偉そうなんだ)顔面について思う事はなくなるかも知れない。眼球があってよかった。狂いそうな位うれしかったよ。