ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

  • 昼寝したので蚊取り線香を買いに行くという任務を完全すっぽかしていたのでそれに。新京極薬局は何買っても安い。蛸薬師と新京極の交差点にあります。バーコードハゲ気味のおっちゃんがいつもサービスしてくれるのですき。
  • 買い物帰りにvox hallに寄る。くうちゅうるーぷ。5バンドも出るイベントで(次回のウチら、敬老の日は7バンド位だけど)、おなかいっぱい。1コめ、くうちゅうるーぷ。これが売れないなんて事があるとしたらそりゃ嘘やろ、って感じのライブだった。個性的なメンツが集ったライブだったが、圧巻だったのは井上ヤスオバーガーさん。おやっさんの弾き語り、という良くあるスタイルなのだがとにかく強い。強過ぎた。全部持って行ってしまったと言っても過言ではない、途中でアコギの弦が切れちまった事すら歌にして笑い取ってたもんね。あんなの出来ない。強い。その人自身が持つあたたかさというか、そういうものが全て出たいいステージだった。これを見られただけでも良かった。勉強になった。本当に強い。観客を魅了する、引き込むと言う点ではピカイチだったろう。それは勿論グッと来る曲、歌あってのものだけどね。長くやってるだけが経歴ではない、長くやってればベテラン、ではない、という事を再認識。良かった。
  • 色んな人の色んな音楽が聴けた。そうして確信する、俺はやはり、音楽が好きなのではないのだなという事。音楽は嘘を付かないという事を信じているだけだ。ただそれだけ。音楽が無ければ間違い無く今僕はここに存在してはいないし、今繋がっている人達との出会いも無かった。生きている分だけ、不幸になったりもしたが、豊かにしてもらったりもしているのだ。そうだ。
  • そうしてまたムカついてきて(何故?)思うのは、大体がライナーノーツ書く人に多いのだが(ていうかあれは金銭が発生しているからなんだけど)、そんなに多くの音楽を愛せるか?ということ。なんでもかんでも肯定的に書いて、誉めて、持ち上げる。お前、嫌われたくないだけやろ。ほんまにそんな、好きな音楽で溢れてるか?敵を作る事が怖いのなら、どのような形であれ、自他関係無く表現関連に携わるべきではない。核シェルターの中で鍵掛けとけ。温室トマトがお似合いだ。
  • 色んな人と話している内に、あ、こいつあかんな、と思う発言があって、割と、それはお互いの思考体系の差異がある事も踏まえているんだけど、でもまぁ、あかんなと。道を違えといた方が良さそうだ。それでも私は、生きるの。
  • 耳がバカにならないようにしようと思った次第。ミュージシャンズミュージックなんて俺には必要無い。音楽屋の為の音楽なんて俺には要らない。片っ苦しい、凝りに凝ったもの。見よ、私の鍛錬の結晶を!そんなもん要らぬ。全然ヘボでいい。音楽の凄い所は、まぁ音楽に限らんが表現の、と言い換えるか、表現の凄い所は、やりたい事さえしっかりとイメージ出来てさえいれば、心の中にあるのならば、アホだろうがバカだろうが素人だろうが誰だって表現出来るという事だ、表現したいものがあって、それに向かう、それが正しい道だと俺は思うけど。そうじゃない場合が結構多いのが面白いと言うか、悲しいと言うか。出来るんだけど、何がしたいのか分からない。こうなると悲劇だよな。本人は出来てるつもりなんだもん。受け手との乖離が進む感じがしますね。
  • とは言え俺は更に個人的で受け手の意識は全く無視している。そういうプリミティブな衝動だけでいいんだと思う。悪くはなかろう。ただ、その衝動がいつまで続くねん、という問題はあるが、それは別にどうでもいい。その時考える。今出来る事を。死ぬからもう。高校時代のように、常に死を意識しながら生きないとダメだ。身近に死が無さ過ぎてボケてんだなきっと。犬も飼った事無きゃじいちゃんの死に目にもあってない。犬とじいちゃんを同系列にした訳ではないが、まぁそういう事だ。つかだから無いものねだりしてもしょうがない。無いものは無いのだ。
  • 終演後、みんなで喋ってたが割と深い話になってきた。良い話だった。あまり言うべきではないのかも知れないが、自分の携わっているバンドの音楽が好きで好きで泣くまで行ってはった(アルコホールの力も多分にあったとは思うがそれでも)。俺は素晴らしいと思った。そこまでその、己が携わっている音楽を愛していると言う事はなんて素晴らしいだろう。曲書きとしては曲書き冥利に尽きるだろう。愛だな。
  • 気付けば休みがもうあまり無い。何やってたんだ俺は。
  • 家に居るのはムリだなと悟った。仕事を終えた母親が帰ってくるだけでイライラするしピリピリする。別段なんかしてるわけでもされてるわけでもないのにな。平日は新居にずっと住むようになってようやく気付いた次第。ここは多分俺の居場所じゃない。
  • 「悲しみの果てまで 行ってやるぜ 本当に その花が 咲くのなら その花が 咲くのなら」「残像 サンボマスター
  • 誰も望んでないって言うのに俺が悲しみの果てに向かうのなんて。俺が最後の砦だなぁとか思う。幸福に、もしなれたとしたら、音楽のソリッドさは確実に失われるだろう。俺が今まで何度も何度も失望してきた、アーティスト達の、ヒヨり現象である。ああ別に自分の中でだけだけどなそんなの。変わってしまえるのなら、今、書いておかなければいかんものがあるんだ。変化を恐れるのはそこだ。いや、ていうか単純に変化が怖いのか。
  • だとしてもヘラヘラ笑いながら明るい曲をアホ面で演奏するのだけは勘弁。情感豊かな音楽を情感豊かな音楽と捉える事の出来る我が感性に乾杯しようじゃないか。それで充分だ。ヒヨった人や幸福なガキには興味は無い。
  • 強迫観念からではなく、救ってくれた恩は必ず返す。
  • 闇の底で足掻けるだけ足掻け。血みどろになってそれでもまだ死ねなくて生きてるのはそんだけイキが良いって事だ。自分の生命力のタフさに乾杯。つか人間そんなに簡単に死ねんわ。
  • 俺が音楽をやり続けた所でまず間違い無く誰も救えない。まして自分すらそうなのに。救うとか甘い事抜かす自分を殺せ。慢心が敵だ。敵は演奏技術では完全に勝てないあの人ではない。どうでもいいそんな人。