ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

  • 平山はどうでもいい。家長のミドルは鬼。あのコンパクトな振りでバックスピン回転を掛け射すボールにし、尚且つパンチがある。あの状況なら誰でも決めるで的な平山の2ゴールなど興味無し(それでも全盛期、国見時代に見せたような2点目の状況であっさり決められる所なんかは、コンディション、戻ってきたのかな、と思わせる。兎角彼は18の頃を未だに超えていない)、家長である。と言っても後半残り10分無い位で見出したんだけどね。後内容はどうだったとかは全然知らない。
  • まず、結果を求められる。勝てないサッカー、勝てない監督は要らない。そういう意味でサンガの美濃部はもう要らない。即刻解任して建て直しを図って置くのが基本。出来ないけどあのアホフロントじゃ。そして次の段階(既に最初の段階で美濃部ははしょられている)、勝てるようになった、と。出来ました、と。そうすりゃ今度は内容を求められる。美しいサッカーだ。欧州のトップクラスのクラブがこの次元。どのタイミングで、誰に、どこにパスを出すのか、或いはドリブルで切り込むのか、サイドチェンジなのか、シュートを放つべきなのか。全てが流動的に目まぐるしく変わり続ける状況に、瞬間で正解を出し続けなければならない。判断力と、それを実行出来るだけの技術。発想と技術、転じて創造力が必要になる。そういう人間が多数存在するチームが点を決める瞬間というのは正解だけで繋げられたボールの軌跡が美しさを生むものだ。瞬時の判断で全員が同じイメージを共有捨て尚且つミス無く進めなければならない。そうして完璧に数式がハマった瞬間に、我々はただただ息を呑むのだ。
  • 瞬間的に正解のみをハメ込んで行く作業は即興演奏にも通じる所。サッカーとパンクロックは同義。
  • 週末の結婚式二次会でギターを、俺が、弾くって?フォークギターでKORNを弾く男、さてどうなる事やら(現場では弾かないけどさ)。
  • 覚悟のススメというマンガが文庫本で再発されていたので買ってみた。シグルイの作者の旧作だ。系統は同じながらもやはり絵が粗いな。系統って勿論臓物系ね。
  • フォークギターの弦を張り替えた。何年ぶりか。いつやってもよく分からないので明らかに巻数が少ない。変な感じになってしまった。フォークはボディを叩いても音が出るので面白い。座って弾けば右ひじが上がってしまうので弾き難いし、立って弾けばなにか窮屈だしであまり好きではないのだが。エンジニア氏の家に行くとフォークのミニギターがあるのだがそれがかわいいのでいつもついつい弾いてしまう。チューニングが激、狂うらしいが、あんまし気にならない。かわいいものが好きだ。
  • さっきの続き。音楽の場合、勝つより内容だろうなぁ。
  • クイズ紳助くん!で、島田紳助M-1の審査員してるときの話から派生して。「俺は、上手い漫才は見たくない。おもろい漫才がみたい」この言葉に、全面的に賛同する。上手いだけの、は、もう要らない。
  • どうしてそういう事になるのか。仮に、曲中にギターの音があるとする。ぽろん。「何故、それはそこにあるのか」である。全てに意味があってそこに存在していなければ嘘だ。そうでなくば、ただ在るだけ、無駄なものだ。無駄なものが一つ、また一つ‥と増えれば、答えは自明の理。そこにあるものには意味がある。意味が無ければならない。全てに意味が無ければならない。全てに意味があって初めて、成立する。それすら分かってない奴等が音だけ鳴らして「弾いた」「出来た」「創った」。
  • 意味のないものが多数に受け容れられるのには理由がある。意味を求めていないからだ。
  • 意味の無いものばかりこさえて厚顔無恥に大言壮語を吐いて悦に浸っている奴等に掛ける言葉は無い。最早言語はその意味を為さず。日本語ですら、通じない相手もいるのだ。