ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

  • 一昨日鶴はし行った時に喋ってて、高安の名前が出て、行列が出来てるだのどうだのって話になっておやっさんが放った一言が、「ワシゃ、別に行列なんか出来てほしないわ」「席空いてても客いれへん」だった。ひねくれ者め。極め付けは「寒い外で何十分も待ってラーメン食うぐらいなら湯飲んでる方がうまい」だった。よう分かるわその気持ち。しかしあのオッサンが作るラーメンは至高の一品だ。商売っ気がないっつーか。しかし自分さえしっかりしてたらいいのだという、言えば自分の音楽に対するスタンスに近いなという気がする。
  • 音楽は嘘を付かない。聴けばそいつの全てが分かる、様な気がするだけだよあくまでも。ラーメンもそうなんじゃないのかと思いつつある。サッカーもそうだしお笑いもそうだ。極めれば極めるほどそいつの思考や嗜好や志向が(ややこしいな)見えてくる。それも味の内、なのかも知れない。だから体裁だけ整えて出来てると思い込んでる馬鹿共を見るのには吐き気がする。化学調味料だらけでちっとも味気ないラーメン。お笑いブームの名のもとでちっとも面白くない芸人と呼ばれる文化人レベルの笑いを提供するに留まる愚物共。なぁなぁフロントなぁなぁ人事なぁなぁサッカーを展開する京都パープルサンガ。コードだけ並べて何の感情も介在させずに机上で曲を書いてしかもそれが優れていると内的&外的要因により勘違いさせられ更にそれを支持する者がいる事自体が絶望的な現実を形成する自称ミュージシャンと。なんなんだろうねこの世界は。表面的に綺麗なものだけ見せるんじゃないよメディアのアホ共。
  • 岡本太郎氏がその著書で言っていたのは、「きれい」と「美しい」は異なると言う事。ピカソは美しい、だがきれいではない、というような。意味が分からないという方はもう少し勉強。意味が分かるのなら、なんか創ろう。
  • 決して理論では作品は創れない、とも言っていた。手だけで感情を介在させずに譜面に書いた曲が優れているワケが無い。それが出来るなら大したものだ。尊敬する。俺は未だに見た事が無いけどそういう人。
  • まぐれで曲が書けたつもりになって、そのまぐれを偶然から必然に押し上げて行く作業なのかな?と最近は思っている。まぐれ云々は今後付けたけど、偶然から必然へ持っていくものなのかな?は、思っていた。曲を書こう。
  • 昔バイトしてた湯豆腐屋の板前さん(この人は今まで俺がであった中で人間的に、かつ実力共に申し分の無い人だった。この人が俺を必要としてくれたら今の仕事なんかすぐ辞める決心ではいるけどもう会う事もないのだろう)が言っていたのは、主婦と板前の料理の腕前の差についてだった。「板前は、主婦より旨いもの作る確率が高いだけ。主婦はたまに変な料理作ってヘタ打つ事があるやろ?あれがないだけ」と言い切っていた。これは結果論であって、過程を考えると凄まじい言葉なんだけどね。音楽もそれと、変わらないと今思った。
  • こういう大人にギター氏を会わせたかった。彼の幼稚性をいずれ殺さなければならない。でもまぁこれは、こないだの練習で時間に任せときゃいいかなと思いつつある。ていうか自分がやばい。新曲について。だからそれどころじゃない。
  • まぁでも今日の京都は雪だ。クソ寒い中人と会ってきます。