ゆっくりいこう

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国営イラン通信がビンラディン氏拘束報道、米国防総省は否定

フ○インの時も思ったが、どうせ影武者なんじゃないのか?こういう輩を「賊」と仕立て上げ、「正義」の名の下にアメリカが制裁を加える。見え見えの、あからさまに見え透いた茶番劇。失笑を禁じえない。どっちにつくか、なんて議論はバカバカし過ぎて参加する気にもなれない。勿論そこで犠牲になるのはいつも何の落ち度も無い善良な市民である。そりゃ、ウチの学校の人外の様な輩には一刻も早くこの世を後にしてもらいたいと思っている。が、しかしそういう醜い人であるとかいう事を俺が事前に知りえなければ、俺はその人達には生きていて欲しいと思う。これは案外嘘の様で本当の話。誰がどういう人生を送っているかなんて、近しい人でも、分っている様で分かってないものである。先日、Yahooのアンケートで他人についてどう思いますか?みたいなアンケがあって、僕はいつだって大体眼を見て話せばその人がどういう人であるか分かっている様な気がしていたので、迷わず「すぐにその人のことが分かる」のボタンをクリックした。結果、最多票を獲得していたのは「他人なんて永遠に分からない」であった。これを見て「ああ、そうか。なるほど」と思ったものだった。他人の話に耳を傾けることも無くなった時代ゆえの統計か、と今考えると思わなくも無いが、その時は非常にポジティブな意味でその解答を捉えたのだった。「他人は所詮他人。自分の感性や感覚では一生掛かっても捉え切る事の出来ない存在だ」、と。愚民よ消えろと心の中で願うその人の片足は義足であったり、老人よ邪魔だ往ねと思うその人は過去あらゆる痛苦と辛酸を舐め尽くして来た人かも知れない。心の中で憎んでいるその相手が実は自分が逆立ちしようが何をしようが到底並び称される程までには一生至らない位の人かも知れない。こうなると、何も言えなくなる。偉そうに言葉を吐き捨てている人に聞かせてやりたくもなる。今宵の俺は少し攻撃的である。しかしながら確実に、言語の通用しない、言葉を解さない「人間様」がここに存在している事も事実である。見極めが肝要である。