ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

存在し続ける事の意味。

・回転寿司に行く。三条は今や寿司の激戦区である。むさしの数軒下にかっぱ寿司が出来てもう結構経つ。盛況なかっぱを尻目にむさしに入る。まぐろユッケが美味い。かっぱはマズいと思い込んでいたがむさしもそう変わらなくなったのではなかろうか。ビントロ巻きを喰う。うまっ!うまいぞ!?なんだかどうでも良くなってきたなぁ。高島屋の地下の持ち帰り寿司が一番美味いんじゃないか?もうよく分からない。庶民の舌なんてそんなもんか。

K−1 BURNING 2004を観る。天田ヒロミが勝ったとこなんて初めて見た。もうキモなんか俺でも倒せそうな気がしてきた(殺されます)。キモのタトゥーだけはいいなぁと思う(大腿部のものは却下。ダイヤのエースとかダサすぎるし)。メタラーのような洋モノのタトゥーいれてみたいよなぁ。般若心境でもいいけどな。ただ消せなくなるしそんなもん彫ったら筋トレせざるを得ないしな(ぶよぶよのカラダでタトゥーなんて締まらんだろう)。日本人はまた負けが込んだがなんとかして欲しいと思う。なんか日本でやってるのに日本人が負けまくるのはどのスポーツでも同じか。

やべっちFCを観る。何度も何度も観た達也→相太のホットラインと闘莉王のドリブル突破を観る。欧州リーグのゴールシーンは発想が豊かで面白い。既に昨日スパサカで観ているが、解説の切り口が違うので「ああ、そういう事か」と納得させられる事しきりである。ロベカルの弾丸シュート(MAX110km超)もスパサカでは加藤浩次は「あれはレッドカードですよねぇ(ロベカルが)」と言うのに対し、やべっちでは素人矢部では感想で終わるので堀池さんが俺のような素人にも分かるようにしっかりと解説してくれる。フィーゴと一瞬の間でアイコンタクトを交わしておいて、壁の一人をフィーゴが巻き込んでスペースを開け、そこにロベカルが無心で蹴り込む、という事だったのだ。半分はそれでもう半分はフィーゴも球に当たりたくないから必死で逃げていたというのが真相かも知れない。ロベカルのFKは最早兵器レベルです。戦争反対。バルサロナウジーニョも凄い。今後バルサの核となり、ブラジルの中心となっていくであろう超天才プレーヤーである。ナイキかなんかのCMに稲本と二人で出演しているが、リフティングを交互にするだけなのだがボールタッチの柔らかさで既に格の違いを見せ付けている。というか単純にかっこいいよな。欧州リーグの興奮が微かにでもジーコジャパンにあれば。結局ジーコ嫌いで終わる。うるぐすではジーコジャパンに対して街頭インタビューをしていた。100人中66人が「現状に何らかの不満」を抱いていた。みんな勝ち負けよりも内容を求めているんだなぁ(勝つにこした事は無いが)。サッカーへの感心と理解が高まってきていて嬉しい限りである。

<追加>
MBSの映像’04を観る。私刑で子供を奪われた人の話。被害者側の視点で番組は進む。こういう話題では自分は少し抑制が効かなくなる。ここが平然と不公平が罷り通る世界でもあるからだ。例えば少年院とか入って罪を償おうとしている奴はまだ良い方で、罪や服役から逃れ逃れて平然とせせら笑って暮らしている奴をちょっとどうにかしなければならないのかも知れない。苦しみや痛みを理解し得ない「人間様」にそれらを理解させるには「ありとあらゆる苦痛」を「死なない程度」に「与え続ける」のが一番良いかなという気がする。惨殺したい奴がいる。失明させてやりたい奴がいる。四肢を引き千切った挙句手厚い看護を与えて飼い殺しにして「人間様」としての尊厳を奪ってやりたい、そんな奴がいたらどうだろう。自分が殺されるのは嫌は嫌に決まってはいるがそこで自分の思考は止まる。だが誰かを失った哀しみはその誰かを愛する者の中で蓄積し、負の方向に増幅されて行く。こういう番組を見るとあの頃の感覚が僅かながら蘇ってくる。私は死ねない。いくら罪深くしょーもない命であり日がな消滅願望を抱えていても。

「私の復讐は私の存在である。」

勝てるだろうか。