ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

記憶。

・朝から無能な担任ともめる。なんかめっさ怒ったのでやかましいから怒るなと言うと「これは演技だ」とか意味不明な返しをする。そこで演技をかます必要もないし演技にしては酷すぎ。陰陽寺Ⅱの伊藤くらい酷い。頭の悪さは今まで出会ったどの愚物よりも酷いので今後書く事は無いと思う。己に全幅の信頼を置き、尚且つ「律」を知らん虫ケラ程醜いものは無い。俺の好き嫌いの基準は美醜で決まる。醜悪なものはどうしても好きになれない。というか好きになる気は毛頭無い。世の醜悪を全て抹殺する為の音楽。そんな矮小なものか俺の音楽は?まぁそんな事考えながら曲を書いたことは無いので良かった。というか作曲時は主に無心である。曲の先へ先へ考える。次の展開は?コードは?リズムは?テンポは?ドラムは?全てが一瞬で来る。瞬間を逃してはいけない。のだが、眠る瞬間に思い付く事もある。そのまま寝てしまって忘れている。そんな場合、曲を発想した事すら忘れているのでそれは無かった事である。酷いのはギターを弾いているときに発想してしかもたらふく弾いてイメージを固め掛けていたにも拘らず完全に忘れ去る事だ。その昔ポールマッカートニーはその曲の良し悪しを「記憶」に頼っていた。が、それもオープンリールが出来るまでの話。テープが出来てからはなんでもかんでも録っといてそこから絞り込むようなスタイルに変化したそうだ。現在に至っては絞り込む事も出来ない低レベルの作品を録り貯めてそこからなんとかマシなものを選ぶスタイルになった。テクノロジーの進歩は想像を後退させた気がする。俺はこんな時代だからこそ逆に「記憶」を基準にしようと思う。そして俺はぶしつけに散歩を勧めます。徒歩のスピードは思考とリンクする最良の速度であるらしい。チャリでは少し速いと感じる。やはり散歩しながら想像するのが曲が生まれるのにも良い環境だと思う。最近歩いてない。また哲学の道へ行こうと思う。人の少ない&花粉の飛散していない今だからこそ。