ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

  • 全国の東横インを制覇しかねない勢いで旅をしているが、倉敷の居酒屋を堪能した後に東横インでぐっすり眠り、そして朝。大原美術館が開く時間までグダグダ。最終日は気合いが乗らない。家に帰るという怠さが生まれる。朝ご飯のクロワッサンをパクつきながら宿を出る。美観地区に歩き出す。小京都と呼ばれる地区。俺京都人なのにー!!
  • 大原美術館へ。エルグレコの受胎告知とか貴重すぎる絵がある。外人にしたら「なんでこんな貴重な絵がこんなトコにあんの!?」状態だそうだ。まぁ俺は余りどうでも良いんだけど。宗教画は余りな‥。宗教はアホな民衆をまとめるためだけに考え出された絵空事だと思ってるからイマイチピンと来ない。でも他に素晴らしい絵が沢山あった。ガキの頃行って記憶に残っていた、ジャン・フォートリエの雨はやっぱ良かった。ただのモコモコなんだけどね(笑)でもそれがいいんだ。
  • 児島虎次郎記念館へ。ここは名前から分かるように、主に虎次郎さんの描いた絵ばかりを展示している。人生の中で、描くスタイルがどう変容していったかよく分かる。
  • 初期は正直技術の品評会って感じ。そこからモネとかゴッホとか極彩色に無限に広がっていくスタイルに変わっていく。後年はそのスタイルが若干落ち着きを見せるものの、培ってきたものを消化し全て絵にぶつけている。
  • これらの変遷を見るに付け思うのは、スタイルがどう変わっていっても構わないし、それをきちんと消化しさえすればいいんじゃねぇの?創ってる人間は変わらんのだし、根底に流れるタッチなんかは、やっぱかわんねぇなっていう。
  • 自分は音楽のスタイルを変えられなかった。悲しみからしか曲を書く事が出来ない自分。変わるべき、希望に溢れる曲を書くべきだと強く思っていた。でも、別に変わらなくてもいいんじゃないの?と最近思うようになった。変わらないといけない必要性、絶対性って何かあんの?と考えた時、いや、無いなと。今まで創ったもの、そう容易く全否定する事もあるまい。旅中何度も自分の曲を聴き直したが、天才が書いた曲は完璧で、何の落ち度もなかった。
  • かわりたきゃ変われ。そうでなくばそのままでおったらええ。誰も何も言わない。他人に迷惑を掛けない範疇では。
  • 思い込むと見えない。見えないものに押し潰されそうだったものがふっと消えた。ほんまにそうか?宇宙の全てを疑って掛かれ。絶対なる正解なんか無いと認識してるだけでも違うなぁって悟った。この本ちょうオススメ。

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  • 岡山に着き、城と美術館。美術館の写真展は雑魚過ぎてダメだった。
  • 岡山から相生まで各停。そっから新快速で帰る。死ぬ程ダサイ京都タワーが迎え入れてくれた。うん、ダサイ街だ。