ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

  • hideの命日。十三回忌だと。時間の経つのは早過ぎる。十三年前。十六歳。そんな時代があったのか。父方の田舎の鹿児島の家でずっと彼の死の報道を見ていた記憶がある。中学の頃はX(その頃は無印Xしか音源がなかった)しか聴いていなかったと言っても過言ではない。影響を多分に受けたのは間違いない。ソロ作も良く聴いた。音楽の自由さと楽しさ、奇抜さと凶悪さをポップに纏め上げる独特のセンスは唯一無二。大好きだった。自分のバンドのメンバーチェンジに心底疲れ果て、音楽を辞めて美容師になる、という所まで行って、yoshikiに誘われてXに加入。そこからはみんな知ってる通り。GWでみんなが浮かれる頃に、俺は毎年、花粉と、彼を思い出して少し物憂げになる。
  • ストラトの弦高をベッタベタにしたので弾き易い。うそ、めっちゃ楽しい。楽しい事を楽しいと感じられない。楽しいと思う事は罪のように思う。楽しまないように生きてきた。自分が傷つく方向に自分を持って行くのは得意技。お家芸とも言える。心が崩壊するまで放って置いた。昨日も今日も明日も何も要らなかった。茫漠とした日々と感傷と焦燥と。誰かが作った本気の音楽で少し心が震える事だけが私が生きている証だった。現実の私は私ではなく、誰かと話している私は誰かになり切っていた。家には落ち着ける場所など無く、心など何所にもなかった。自分が受け入れられる事が分からなかった。何を思ってそう思ってくれるのか疑問でならず、よくそれらを破砕した。永遠ではない安息ならいっそ要らない方が良い。出来るだけ派手に叩き壊した。それでも相手に寄り添って欲しいと願う醜い心。誰かに救って欲しいと願いつつそうして貰う事を執拗に拒んだ。これ以上、私の心を掻き乱さないで欲しい。私を思うなら、お願いだから、どうか私を忘れてくれ。それが総意だった。今ここまで来るのに激動の時間を過ごして来た。平々凡々と笑っているあの馬鹿共の3倍は時間と命と感情を早めてきた。誰にも分からない苦痛を、血で骨と身を洗いながら世界中を呪いながら歩んできた。やりたい事など何もない。音楽も逃避ではないかと疑念を抱いた瞬間から嘘に変わった。人間になりたい。ありきたりの普通の人間の暮らしに憧れた。この世界は自分の居場所ではない。自分の体は自分の依代では無い。誰かの借り物。そういう意識がいつまで経っても拭えない。様々な苦痛を伴う経験が私の心臓に決して抜けない血塗られた楔を叩き込んだ。ハブロフの犬の様に、幸福と安住と安息を恐れて散弾銃を乱射するのみ。愛して欲しい人程粉々に打ち砕いた。自分で自分を撃ち殺したいと願っていた。しかしそれも誰も知らないまま終わっていく物語の一ページに過ぎない。また明日が始まる。
  • 見ず知らずの音楽を俺に与えてくれた話した事もない兄貴、恩師の様な人の命日を迎えるとなんとなくセンチになっちゃうんだよ。後追いも結構あったとか言ってたな。そういうのはよしてくれよと思うけど。それだけその人には彼の音楽しか依代がなかったんだろうな。アホだとか誰が言える?他に楽しい事なんていくらでもあるよなんて訳知り顔で言えますか。俺には無理だ。少なくとも十代の頃の自分は今以上に音楽以外何もなかった。誰がそんな奴に何か言えるか。
  • 武田鉄矢は死ぬ程胡散臭いと思うけど海援隊の「人は悲しみが多い程、人には優しく出来るのだから」というあのクサい詞は残念ながら真だと思う。
  • ある程度PCのシステムが安定したのでRAIDボードでRAID組むかと思ってこちゃこちゃやってたらしょぼーんな結果になってしまったのでもうほったらかし。FDDがその内届くので、それが来たらHDDの試験やって、問題なければおしまい。問題有ったらもう初期不良返品期間は終わってるので実費(泣)。
  • せめて生きている内に自分を乗り越えてから死にたい。それ以外はどうでも良い。言いたい事が言えない。思っている事をなかなか言えなかったりする。どうでも良い事は、下らない事はベラベラ話せるのに。その辺がまず自分の課題。