ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

  • 気付けば1時、な、生活を結構続けてきた。だから何がどうという事も無い。ただ気付けば1時になっているのだ。
  • 昼飯。みんなでどっか行こうと思ってたら妹がいらん事し出したので蹴り飛ばした。騒ぎ出したので中止。母親は「何もするな」の事なかれ主義。お前のせいで甘えとるんじゃアホ。
  • 三条京阪ブックオフに。PSP-2000が大量に置いてあったはずなので、箱見せてもらおうと思ったがもう既に何も無かった。ハズレの如くPSP-3000が中古棚に並んでいた。PSPはエミュ以外に活用法ないだろどうせ。
  • ラーメン食いに鶴はしに。閉まってた。正月休みのいやな所は、好きな時にラーメン食べにいけないのと、ただでさえつまらないテレビが正月特番でより一層つまらなくなってる事だ。
  • 結局北山通まで出て、西へ。何も無い。松ヶ崎。畑しかない。有名な焼肉屋、エルドールはランチやってたので興味が出るが、なんとなくスルー。そのまま新町通まで行って、なんとなく南下。意味は無い。何を求めていた訳でもない。道を進む気持ちよさも無い。微妙な天気だから。うそ。天気は関係無い。ただ単に、物憂い。
  • 結局ぐるぐる回って河原町今出川を西に少し入った所にあるグリル鴨川に。学生向けな感じでどかっとおかずとメシが出てくる。とは言え、大味でもない。俺は日替わりを頼む。ロースとんかつ1枚と、90グラムのハンバーグ、山盛りのキャベツ、ポテサラ、万願寺(多分。ししとうにしてはデカすぎ)の唐揚げ、味噌汁、漬物、大盛りご飯。これで700円。安い。どこの途上国?と思わせられる。皿の水は切ってからメシ盛ってくれよと若干思うけど、おいしいので忘れていた。
  • そう、昨今乱立してるカフェだのなんだののメシは味が薄いか素材が悪いかでぼったくってんだよ。ここはおいしい。ハンバーグはもう大分前に亡くなっちゃった隣のおばちゃんが何度か作ってくれた煮込みハンバーグの味に近かった。おばちゃんの事を思い出して、最初はとっつきにくいんだけど、仲良くなったら良い人だったなと、まさに京都人な感じだったご近所付き合いを思い出していた。
  • メシ食いながらテレビを見る。麒麟の漫才。最近あいつら舞台で目を合わせてないよなぁ。仲悪いんかな?とか思う。田村君はもう大金持ちやしな。べしゃり暮らしを読んだ後だったので余計にそう思う。森田氏のマンガはやっぱり面白い。
  • 三宮へ。淡路島の友人と1年ぶりに会う。年始に彼が帰省するのと同時に会うので、会う度にお互いオッサンになっている。向こうでバイトして暮らしてるだけの彼にちょっとお小言。あんた仕事やって疲れたぁ、では、イカンでしょ、と。何しに行ってんの。それじゃ東京でなくてもいいでしょ、と。地元でバイトだけしてヒキってるのと何が違うのやら。まぁでもそれも、羨ましいのかなんなのか。
  • 才能という言葉は大嫌いだけど大好きなんだ。大好きというか、大事ね。でも大嫌い。概ねして隠れみのになりやすいから。でもゼロに何を掛け算してもゼロなんだよ。でもどれだけの才能も磨かなければゼロなんだよ。だから才能なんて言葉を吐く前に、やれるだけの事をやっとかないとダメなんだ。ほざいてるだけの時間が勿体無い。
  • あひるの空というバスケ漫画があって、まぁスラムダンクの亜流みたいな奴なんだけど、ブランクを経てバスケのコートに復帰した奴が試合に惨敗した後に言うの、「俺、何やってたんだ‥」って。今俺は何もしてない。でも「何やってたんだ‥」、まで、行きつけて無い。このままかも知れん。今そんなのどうでもいいんだよ。
  • 迷ってる位ならやっちまいな。鉄は熱い内に打てっていうんだ。打ってしまえ。こいも同じ。あれだけ大好きだった人、運命と信じて、惚れて、側に居るだけで完全に満たされる、そんな間柄だったはずの二人も、いつの間にか。やるかやらないか、選べる人生が羨ましい。奪うか諦めるか。そんな選択をする余地のある人生が素晴らしい。羨ましい。そしてくたばれと思う。だからピストルで撃っちゃう。ばきゅーーん。
  • 最早感情がなくなったから文字を打つのも容易い。意識を介在させていないから自由自在だ。
  • 感情を込め過ぎるとうまくいかない。感情さえ込めなければすんごくうまく行くんだよね。たまらんよねこの背反。
  • だからいつもほんとうにすきになってしまうとうまくいかない。誰も好きになりたくない。ひょいひょいっと、うまくやりたい。気持ちが強くなり過ぎるといつも失敗して来たから。失敗って。相手を傷付けてしまうって事ね。いつでも大らかに神の如く清らかでありたかった。あなたの支えでありたかった。でも人として欠落している所が多過ぎて、とてもじゃないけどムリだった。穏やかで居たかった。健やかにふたりの時間を大事にしたかったよ。でももうそれも叶わない話。自分がどこまでも軽率でどこまでも軽薄なのも知っている。汚い自分にサヨナラしたい。もう自分自身も、見切ってしまったんだ。感情も湧かない。希望も無い。だからどうという事も無い。それはそうだなという事実の元、また日は昇り、沈み行く。「なんとなく生まれてしまったいのち」、が、「そこら辺にたくさんたくさんある」、「だけ」、さ。
  • 最近は音楽も本当に聴いていられない。流してる分にはいいけど、きちんと聴かざるをえないと、すぐに切ってしまう。熱い。今は些細な情感も熱過ぎるんだよ。
  • 明日になれば、全てリセットされていればいいのに。美しくありたかったよ。
  • 名前を呼んで欲しい。大切なあの人に。でももう、かなり傷付けてしまっていらない事も沢山言ったので、きっともう。好かれては無いと思います。あれだけ密接していて、自分の足らない、欠けた自分そのものとまで思っていた彼女と、もう心が遠く遠く離れてしまったように思います。それがとても辛い。誰かと向き合えば、汚い汚い自分を見つめなければなりません。それがとても辛いのです。あまつさえ、自分の幸せを夢見てはいけない身。どうせ無くなる関係なのだから、深くならないに越した事は無いのです。でも、それが出来るほど、自分と乖離した人間で無い事も確かなのです。あの日、愛は其処に在った。これは確実であり、そしてこれも過去の話なのだろうか。イヤになってくる。自分自身が。もうどれだけ何をやってもムダだ。それを実感するための28年間だったように思える。生まれてきた事が、本当にムダだったのだな、と確信するには十分過ぎる内容だった人生。