ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

  • 夕飯。大詔閣に行く。木屋町のちっさな焼肉屋さん。雰囲気は十三の請来軒に近いノリ。出てくるのが遅いのがいじらしくて好きだ。タレは結構濃い目の感じで(ミソダレ系?)旨い。ホルモンも種類が豊富で、楽しめる。ガス火のコンロでいい肉をごぉぉっと焼き上げるのが男らしくて好きだ。ここなら独りでも入れるな、と知った次第。収穫だ。
  • 酔い覚ましにふらふら歩き過ぎて烏丸五条。ラーメン大王でラーメン喰って帰るか、と思ったが面倒なのでパスる。ふらふら歩いて五条大橋。ここには色々と恥ずかしいみっともない偽善者故の偽善者たる所以が詰まっている。
  • 奴がほぼノーヒントに近い状態で五条大橋近辺の写メを送り付けて来やがって(絶対分かる筈も無い様な撮り方をしている)「???」とか言ってたらキレられたのもいい思い出だ。以前少し話題に出したのをすっかり忘れていた。そこまで俺も覚えちゃ居ないのだが、きっとそれを覚えて無かったって事でちょっと怒ったんだろうな。かわいいやら扱い辛いやら。今日も五条大橋のたもとでは、でっぷり超えた弁慶と牛若丸が戦っていた。あの噴水に一回中性洗剤をボトル毎放り込んであわあわにしてやりたいのだが、実際にやったらスベるのは分かっているのでやらない。
  • やったらスベると分かっているのにやってしまうどうしょうもない奴等には七爪の罰を。その後タバスコ塗布の刑。
  • 鴨川に下りる。真っ暗。ジョギンガーとかニート(決め付け甚だしい)とかあるいとる。松原橋に差し掛かって思い出し笑い。入水自殺コントを繰り広げたアホな土地である。生きれば生きる程、鴨川にアホな思い出が残って行く。これががんじがらめの鎖になってないのが救いだ。何が悲しゅうて河を渡って対岸の草ににタッチせにゃいかんのだ。アホらしくてほっといたら怒られるし。面倒見切れません。
  • が、そんなアホはどこまでも本当にアホで。俺を闇の底から救い出してくれようとした。あいつなりのやり方で。小さな胸を痛めて。全力で。誰も望んでもいないのに、一銭の得にもならないのに。ここで変われないのなら私は男性でも人間でもない。そう思った。がしかしそれによって音楽が消えてしまうかも知れないという懸念もあった。言葉を持たない男の、本当に言いたい事はもう何も言えなくなってしまった男が、他者とコミュニケーションを取り得る可能性が唯一残された言語である音楽を。頭打ちである事も分かっていた。焼き増しである事も分かっていた。俺は悲しみ以外を音に出来なかった。変容は終焉だと思っていた。幸福はマヌケの終着駅だと思っていた。怖くて怖くて仕方が無かった。しかし変容を求めていたのも事実。変われなかった音は同じ音だった。延長線上のしかも割と近く。そんなんじゃ意味が無い。分かっている。がしかし変容は怖い。この繰り返し。孤闘。全く誰も望んでいない低レベルな戦い。対自分。「バンドが」「バンドで」言う前のレベルの戦い。この結論を出してからでないときっと「始めては」いけなかったのではないか。そう思う。たらればの話は無意味だが。
  • かつありきたりなものではアウトだ。他者との差別化だけが答えだとは言わない。が、その辺から線引きをしてアイデンティティを主張して行くのは無論アリだ。画一的なあの辺の場所では大変効果的だ。