ゆっくりいこう

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アダルト・チルドレンと家族―心のなかの子どもを癒す

アダルト・チルドレンと家族―心のなかの子どもを癒す

  • 読了。凄まじい体験談が並んでいて読むのに体力を使う。大江健三郎の小説を読む時とは違った体力の使い方をする(大江っちの本はクソつまらないから怒ってしまって疲弊する)。
  • 俄然気が軽い。感情を使わない体に戻ったからだろうか。青葉の緑が目に眩しかった。些細な事を感じ取れる。これは割といつでもなんだけどね。
  • 主任ちゃんが(意図せず)俺の作品(仕事)を物理的に崩しに掛かったので普通にキレる。回りからは笑われていた。平和だ。家に帰らないのが平和なのかね?
  • 少し(といっても布団にもぐりながら数時間は眠らなかった筈)の回想でこんだけラクになってくるなら原因は何なんだろう。単にヒネくれてるだけか?他人を排除して排除してひきこもって誰も信じなくなって。そんな時代よりはまだマシになった方か。つかここですら他人を排除するような事ばかり述べている。意味も無く程度の低過ぎる事や無駄に攻撃的になったり最低な発言で身を貶める事で他人を排除しようとしている。振り返ってみれば。それは実家のあの環境がそうさせるのか、俺が弱いのか。家を出れば済むのか。それでも去らない人も居るのが‥。こんなんですみません。
  • 「どうしてあんな家に留まっていたのか、今考えると分からない」と言っている人が本の中には登場する。母親と妹に向かって「足枷」と吐き捨てた事もある。捨てれば済むのだろうか。外的要因が全てなのか何から始まったのかかなり注力しないと分からないだろう。
  • 本当は母親より癌で死んだオバハンが母親であれば良かった様な気がしてきた。うーん、たまに会うから嫌な所が見えないだけか。よりナイーブで快活だったのはオバハンの方だ。無能な父親にいつまでも無駄な悩みを抱えているほどヒマでも弱くもお人好しでも無かった。多分父親がオバハンの見舞いになんか行ったら叱られてたろう、「そんなヒマがあるなら働け」、と。
  • 考えると父親の父親(亡くなった祖父)は航海士で(ちょとかっちょいい)、家には殆ど帰らなかったそうだ。俺の祖母(祖父の後妻、歳を取る毎にワガママになって手が付けられないので母親に預けて排除した)と曾祖母しか家におらず、父親は結構苦労したらしい。血の繋がっていない子は愛せるか?愛せないだろう。我が子の様には。きっと父親もそうなんだろう。60過ぎてから勉強させたろかいなあのアホに。
  • 「高校は義務教育ではないから学費は出さない」と父親に言われて母親にキレた事があったらしい。進路の自由を宣言しておいて、と。すねかじりの身ながら本当にどうしようもないなぁと思うが、母親曰く「(普段殆ど怒らない俺が)かなり怒った」と言うように、そういう挫折体験を心のどこかに押し込めている、というのを拾っていかないといけないらしい。単にアホだから忘れているのかそうでないのか区別が難しい所。
  • 割と破滅的なまでに他人に奉仕してきたような気もする。誰かの為の人生ではなく、自分の為に。願望が無いんだよなあまずは。
  • 翔べる人には翔んで欲しい。翔べるのにどうして翔ばないんだ!憤慨する。稀にライブの日とかリハーサルやってる時にホメてもらったりして、嬉しいのは嬉しいのだけど、そんなのさ、そんな事言ってないであんたらは翔べるんだからどこまでも翔んで行けばいいじゃないか、と心の中ではキレている。「はぁ、どうも」なんて生返事をしている間に約3000回はキレている。翔べよ!翔べるんだから。
  • こうして他人に意味不明な期待をしてしまうのであった。そういうのを、自分に向けてみようか。どうでもいいんだよ金貰って音楽やってりゃ偉いのかって話だはいすいませんたどり着けませんでした。がしかしだな、自分の限界を知りたくて始めた旅だ。夜の山奥で追いはぎに殺されるもありだろう。
  • 語ろう。自分自身と。そういう時間を持たなくなていった事を後悔している。おろかものめ。