ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

  • どっか行こうかと思った瞬間13時。お昼ご飯を作ったげる看病少年。親子丼。やたらに味を誉めるんでもうええわと言っておく。やれやれ、ちょっとどんぶり使ってんの知ってるやろ。へばってる時は相手に気を使うのは親子で悪癖だな。そして少しでも放っておくとなんか仕事をし始めるので注意が必要だ。皿洗ったりなんやかやするのでいつまで経っても風邪が治らないんだ。早く布団に放り込むのが肝要。
  • メシを食いに行くのも面倒になって買い置きの日清行列の出来るラーメン屋、和歌山(チルド)を喰らう。市販品ではこれが最強だ。
  • 体温計の電池が無くなり掛けてたのでタニヤマムセンで買う。そこから何を思ったかオーパ前からバスに乗る。普段バスになんて殆ど乗らない人が。
  • 向かう先は大原。三千院に行ってみようと思った。この最低な気分が少しはマシになればと思った。他力だ。こういう時の俺は思いっ切り他力本願だ。
  • 京都バスというバスに乗るのだが老人のフィジカルの強さに若干の苛立ちを覚える。壊れたピックアップを搭載したギターの様なノイズを口腔より際限無く吐き出し、目的の停留所に着くや否やトップスピードでタックル、人でごった返したバス内通路をこじ開け高速で侵入突破し、そして両替で10分という時間を掛ける。こいつらに席を譲ってやる必要などなかろう。走ってるからバスん中。年金も不要。後50年は働けるやろこいつら。辟易。
  • 終点の大原までずっとyou slut!eskju divineを聴いていた。eskjuの方は宝ヶ池を越えた辺りで座って山を眺めながら聴いていた。歌声が綺麗だと思った音楽は今まで始めてじゃないか。バスの中でめそめそしてしまった。適当にMDを持って行ったがこの2枚以外は聴く気になれなかった。
  • バスの中で色々考える。脳がやられている感じだ。風邪を貰っているのか熱い熱い。それはでも上着を着ているからだった。だったんだけど、そのオーバーヒートってる状態で独りブチ切れながら思う。俺は自分に嘘を付きたくないだけだ!やれる事、やるべき事、群集大衆聴衆。チャーシューちょーしゅーみなのしゅー。by村上ショージ師匠。こんな歪な音楽を良いと言ってくれる人が居る。それで充分じゃないか。
  • 三千院に行く。道案内のオバハンが客に対して「ハイ、2階に上がってさっさと拝観して下さいね」的な台詞を吐き捨てるのは流石京都だと思った。こういう金さえ取れば後は用済み、的な京都感覚には相変わらず辟易するが分からんでも無い様な気もする自分にもウンザリする。靴袋も使い回しのスーパーで貰うような袋だった。「資源の再利用の為にリサイクルをお願いします」なんて体の良い事書いて出口に回収用の木箱を置いているのだが何の事は無い、袋の補充の手間と費用が掛からないように、つまりは拝観料そのまま収益に充ててやろう、という魂胆以外に無かろう。ムカついたので出口で靴袋くっちゃくちゃに丸めて叩き込んでやった。ビニールなんで「くしゃ」としか音は出なかったが。死すべし京都。
  • 意外と人間が多く、昔母親が行った時の話では人間が少なかった筈なのになぜ?むむ?と思っているとなんか今日はイベントがあるらしく。内容は大根の炊き出し、であった。石原プロばりに炊き出される大根。しかも、デカい。径がデカいのだ。かぶらかも知れない。そうしていつも通り何も考えずに風下に座ってしまったため、暖を取るための薪から灰が舞ってきて大変だった。大根で腹一杯になったのは人生初だと思う。
  • 行く所行く所金を要求してくるこの神社仏閣の類いはなんなんだろうと思うとアホらしくてどうでもよくなってきた。寺やらに行く度に俺は和むどころかバカバカしく思えてくるのだ。とても禅の境地になど達する筈が無い。見知らぬ人間達と行列を形成し、順番通りに面白くもなんともない動きもしないありがたいようで全くありがたくもなんともない経文やぼろっちいヘタクソな絵巻物を見せられて「ほー」とか「へー」とか言っている人間達に混じって定められたルートを辿り、出口に差し掛かる頃にはすっかりバカバカしくなっているのだ。
  • アホな三千院を出て、人気の無い方無い方へ進む。ぐるっと遠回りをしてバス停に向かうと人間が居なくて精神衛生上良かった。ネコに舌打ちしたりして遊ぶ。民家があってそこ辺の生活の風景を見ている方が寺よりよっぽど良かった。何気ない人々の暮らしが心を落ち着ける事もあるのだな。
  • 寂光、という言葉が好きなので寂光院に向かう。バス停から東に折れると三千院、西に折れると寂光院という位置関係だ。意外とバス停から遠く、いつ着くのだろうか、と思わせる。こういう感覚が好きだ。道中の写真をこっちに上げたので良ければ。へたっぴですけど。クリックで拡大します。(http://f.hatena.ne.jp/my373/200700212%E5%A4%A7%E5%8E%9F/
  • 道中、いつ着くのだろうか。もう疲れたわ、と足を止めた風景が綺麗で良かった。とかく空が広い。これが京都市なんだから信じられない。左京区広ぇ。たまには足を止めることも重要だ。
  • 人生無駄な事など何一つ無い。今窮地に居る人へ。乗り越えてから見たらそう思えるよ。山道を必死こいて進んでいる時は分からないけど、頂上から眼下に広がる景色を見た時、そう思うはず。ある種の達成感と共に。だから今は、まだ死ぬべきではないのだ。
  • 寂光院に着く。受付で速攻、「あまりゆっくり見れないんですけど」。転じて、早く見てとっとと帰れ、の意。京都死すべし金儲け主義死すべし面倒臭がり死ぬべし。そうして階段を登って本堂へ、開口一番、ショボっ。新築やん。なにこれ。しょーもねー、と素で言ってしまった。独り言をこれ以上増やしてくれるなっ。
  • 宝物殿に行く。見知らぬマダムが「ホウブツデンに行こうよ」と言うのに心の中でツッコミを入れつつ。さして面白くもないものが展示されている。そういや琵琶があったな。琵琶はちょっとだけ見てた。古代の弦楽器の弦の材質を知りたい。ピアノ線なんかなかったろうしな。鉄を精製する技術なんてあったんだろうか。でも既に奈良時代で大仏作ってたんだしなんでも出来そうな気もする。日本史殆どサボってたから何にも知らないや。
  • 琵琶に飽きて進んで行くとそこには京都新聞の記事を引き伸ばして貼ってある。何かと思えばこの寂光院、過去に放火っぽく燃やされて本殿が全焼しているのだ。そこに来てこの新聞記事拡大コピーである。この恨みはらさで置くべきか精神。寺の精神とは一番遠いのではないかと思われるバビロニア精神じゃないのかこれ。目には目を、歯には歯をな。放火犯を見つけ次第燃やし尽くしてやる、と言ったような執念深さを感じずには居られなかった。
  • ショボい庭を見て、寂光院を出る。ゆっくり見たってせいぜい10分もたんよあそこ。本殿と宝物殿とショボい庭しかないのに。「あまりゆっくり見れないんですけど」と言った受付のオッサンは狂っていると思う。狂気。狂気から全ては始まるのだ‥とは常に思っているけどこんな狂気はいらねぇ。京都死すべし。これで600円も取られた。ボッタクリ以外の何者でもないと思う。JAROに電話しょ。
  • 河原町方面行きのバスにはおそらく大根を食ったであろう人間が大量に列を為していたので、ガラガラの国際会館行きのバスに飛び乗る。バスの中で友人にメールを投げる。最低の気分だった昨日のライブ後に遠路はるばる見に来てくれた友人に極めて気分の悪くなるような口調で話してしまって気になっていたのでとりあえずすまんと。ライブ後に色々な人と色々話したいのだが色々話せない位に気分が落ち込んでいる時が多いのでそこ辺折り合いをつけられたら良いのに、と幼稚な自分に対して思う。結局昨日はウチが一番チケットを売ったらしい。ウチだけで19人。チラシ50枚じゃ足らんわな。高校時代の友人にチラシが足らんと怒られたりもした。
  • うたた寝しながら進んだバスが終点に着く。地下鉄に乗り込んで市役所前で降りる。何か買って帰った方が良いものはあるか?と母親に電話。何も無い、けど刺身が欲しけりゃ買っておいで、と言うのが常だ。飲み過ぎのこむら返りで目覚めた朝からアホな寺巡りで歩き回った挙句更に市街地を巡る。追い込まないとダメなタイプ。藤井大丸地下タベルトでブリトロと大葉を買って帰る。昨日の飲み会で大葉は食った事が無い、と言ったゲスト氏にはびっくりした。おいしいのにシソのはっぱ。
  • 晩飯はぶりの塩焼きだった。それにブリトロを合わせるセンスって最高ね。ブリづくしの上にWOWOWバルセロナ×ラシンを見る。至上の幸福。幸福と来たか、目出度いな貴様。腹を斬れ。
  • 今朝の目覚めは最悪だった。3時過ぎに帰宅し眠り6時に平日会社シフト用携帯アラームを外し損ねてバッチリ目覚め、とりあえずもう一回寝ようとしたら左のふくらはぎがこむらがえって俺も痛みにひっくりかえる。対処として足首を曲げるべきなのを伸ばしてしまってこむらがえりを悪化させてしまって半泣きになる。早朝ゆえに騒ぐに騒げない。治まったと思ったら余震が来た。自身で壊滅的打撃を受けた後津波で何もかもさらわれた様な気分を味わった。オーバーやなぁ。すぐに水分を摂取した。とりあえずWOWOWの生放送の試合を見るがバルサでなかったので興味薄れて眠る。そんな1日の始まりだった。さえやしない。晩飯を食った後うとうとしてた。起きては眠りを繰り返して、今に至る。もう寝ないと。