ゆっくりいこう

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ばあちゃんを思って

  • ええ天気。どんより曇っている(よくなくない?)。母親と妹は生き残ったオバハンと共におばあちゃんの墓に向かった。ウチの母親には上から順に兄貴、姉、姉、自分、妹という兄弟姉妹がいたのだが、長女と妹(俺の事一回も君付けで呼ばんと死んでいきやがったオバハン)がもう既にいない。で、2番目の姉さんと(方向音痴)墓へ行った。兄貴の家がクソみたいな家で、ばあちゃんからずっと金せびってたりして最低な奴等だったんでもうあまり関りが無いのだが、ばあちゃんが死んだ時は墓でモメた。兄貴の所がなんか宗教に入ってて、墓がなんかその本部にあって合同で祀る(祀るはないか。なんかいい表現が浮かばないけど、とりあえず合同でって話でスルーして下さい)方式で、普通に墓に入れたらええや無いかという姉妹達とかなりもめた。でまぁ、散々もめた挙句、長男権限で合同方式になってしまったので、わざわざそこまで行っているのだ。2時間ほど掛けて。
  • 昔はよくばあちゃんの家に集まった。阪急沿線にみんな住もう、と言ったんもばあちゃんだった。よく集まって、すき焼きをした。ばあちゃんはそんな時気合をいれてご飯を硬めに炊いてくれるのだが、それは所詮ばあちゃんの尺度でなので、俺らからしたら粥を喰ってるみたいで。それだけがいつも嫌でご飯大好きっ子の俺がご飯を食べない、なんて事も良くあった。だからばあちゃんの家のメシ釜はずっと壊れてるんだと思ってた幼少時代。これ見よがしに食後にすぐにスナック菓子食べたりした事もあったね。ヤな奴だね。今でも思い出すよ。あんな事すべきじゃなかったってね。
  • ばあちゃんちに一番遊びに行ってたのはウチが一番だったろう。実家に帰ります、ってあれだ。まぁ、よくある話で。それでも俺ら学校があるから、週末だけって感じだった(と記憶しているがよく分からない。俺は細かい事は一切分からない癖がある。それは全てに関して言える事で、そして未だに治っていない)。ある時、高槻のダイリキという肉屋で肉を買ってきて、ばあちゃんちの七輪で焼いて食べた事があった。食いしん坊らしい発想でしょう?ばあちゃんはそんな事考えもつかなかったらしく(普段野菜しか食べないからね)、食べられるかな?と思いつつ勧めてみたら、おいしい、と何枚か肉を食べた事をぼんやり覚えている。
  • やいと *1 を寝る前によくやっていた。草を乗せて、火をつけて。後ろからそれに息を吹きかけるのが好きだった。「あつあつあつい!」今考えると老人虐待だよねw(「w」じゃねっつの)
  • トイレが暗かった。汲み取り式だったので底が見えなかった(わざわざ見んでもええのに)。紙もちり紙 *2 だった。自分の家とは全部違っていた。それがまた、良かったんだ。
  • ばあちゃんは字が読めなかった。なのに毎年1回、多分暮れの買い物だったと思うけど、天六まで行って買い物して帰ってくる。字も読めないのにどうやって行ってるんだろう!俺ら、行こうと思えばどこへだって行けるけど、ばあちゃんにしたら宇宙に行くより遠いんじゃないか、と思ったエピソード。無学なのを嘆いて、「勉強しろ」、と最後の方は行く度に泣き付かれて小遣いを差し出すんだよね。いつからか貰わなくなった。そんなん、いらないもん。兄貴達にダマされたんだろうか。あまりあの人達好きじゃない。会ったら多分シバき回すから。
  • 家の中はしみったれてたけど、あそこは落ち着いて良かった。カギが掛かっていたら、畑にみんなで行った。なんで腰が直角に曲がってるのに動けるのか不思議でならなかった。なんか今、母親の行く末を暗示させるな、と思ってしまった。やるべき事はやって置かないと。
  • そんなばあちゃんの家ももうない。住む人も居なくなったので、家具一式みんなで分けた。七輪だけは絶対に欲しかったのだけど、前述の2番目の姉さんが持ってった(挙句、無くしてやがるのよ信じられない!無くすくらいなら頂戴よ!)。ばあちゃんが居なくなって、オバハン達がいなくなって、母方の家系は年々疎遠になって行く。いいやら悪いやら。そう言えば末のオバハンの墓参りに行ってないなぁ。来週辺り、五条の大谷本廟に行こうか。