ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

雨。

  • みんな、色んな情報を流してくれるのはいいけど、出来たら休み明けに出張とか言って欲しかったなぁ。ぐったり。
  • まぁどうでもいいとしてなんか高校の時の風景とか思い出したり、なんか頭の中で鳴っているものを早くこっちに引き出さないとなぁとか、ギターを弾かないととか、今日こそはいいちょに行かないと、けど雨だとか。週5はやっぱり働き過ぎだ。なんか勝手なイメージで喋るけど、アメリカ人は凄いみんなワーカホリックで仕事にプライドを持っている奴しか存在していないような気がする。貧富の差がデカいから仕事に僕らのような考え方では生きていけないのかも知れない。うーんまぁ、でも、これというものがない。難しい。
  • 生きるのに何が必要か。生活。「生きる」と、「活きる」。この両者が揃っていない限り生活ではない。生きてはいても、死んでいる。難しい所。今生きてはいるが、それは単に誰かの世話になっているだけで。お金もちょっとずつだけど払っている。でも喜んでだか嬉しいんだか知らないけど一向に使おうとはしない。使って欲しいんだけど、使って欲しく無い気もする。ロクに働かない親父が働いている今のうちはそれだけで賄おう、とはしているみたいだが実際問題ショボいバイトではそれは無理な話で。母親にはずっと、自分で働いている金は貯めて置いて、親父が死んだ時の軍資金にしろと言っているのだが。人が良いのでそれも出来ない。どうしたらいいんだろう。俺はあまり家を空けたくない。ニートと言われようが家っ子と言われようが畜生と言われようが穀潰しと言われようがクズと言われようがキチンと成り立っているようでこの家は実は平衡感覚が、まるでない。そんな事自分には関係ないとは割り切れない。小学生の頃、先生と毎日日記のような物をやり取りしていたのだが(今考えると凄い話だよな。俺らのクラスは14人しかいんかったけど、それでも全員とやってたんだしな。生徒の事を理解しようと親身になってくれてたんだなぁ。今初めて気付いた。マジで尊敬する。こんな人が人の上に立つべきなんだよ、ってもういいか愚痴は)、その時は家の中はかなりロクでもなくて、毎日が嫌だった。いいコトなんか今の浮かれてる俺には到底耐えられないような事ばかり起きてた。今の俺は、子供の頃の俺より遥かに鈍感で、鈍って腐ってしまった。まぁそんな事を子供ながらに凄く心配していたのか、ノートに書いて出していたらしい(未だにたまに両親に言われたりするが、実際問題俺は子供のころの事はあまり覚えていない。覚えていても仕方の無い事だったから勝手に忘れたのかも知れない)。んでまぁウチの両親が俺の担任に呼び出されて、って話になって。まぁそれからもすぐに、というわけにはいかなかったろうけど(問題は解決されてはいなかったからね)、徐々にそういう事は減っていったような、そんなおぼろげな記憶がある。中学の時、私は本当に人生を終える事を覚悟せざるを得なかった(所詮戯言レベルですが)。そんな時、自分を救ってくれたのは両親だった。たまに、うっとうしいなぁ、と思ったりするけど、数少ない身内だし(母親の姉妹のオバハンが立て続けに死んだため、親戚付きあいもめっきり減った。ウチの母親はたまには集まろう、って感じで声を掛けたりはしているけど、難しいだろう)、尊敬出来る。今はもう完全に平衡感覚を取り戻したのだが(互いが互いに完全に興味を失ったとも言えるが、別にハンパなものなら無い方がいい。切ってしまった方がうまくいくこともあるから)、まぁウチの懸念は両親だけではないので。既にばれているので(別に詳細を話さねばいいから言うんだけど)会社の人に妹の話とかフられると困る。ベラベラ喋ってるこのアホな口が急に止まる。ある日突然通り魔に背中を刺される、そんな冷ややかな感じ。でも俺の家は、俺と、両親と、妹の誰が欠けても破綻していたろう事は容易に想像が付く。妹ももう働いている(働くとかありえないって感じだったけどね。学校で本当に「色んな」職業訓練を受けたのが良かったんだろう)。一人では暮らせないので母親が死んだら(言いたくないなぁ)俺が面倒を見るしかない。昔から俺の人生は決まりきっているとか奴隷のように生きるだけだとか酷い事を言い続けて来た事と、ずーっと休みも友達と遊ぶでもなく彼女と遊ぶでもなく(後者は俺の人格と顔と頭が悪いため)家にいるのを総合的に判断したのか、この間初めて母親に「家を出るか」と言われた。別にって答えた。俺は、この都市部の近所が好きだしこの狭い部屋ももう10年以上は住んでいるんだしそれなりに愛着もあるし別にって感じで。高校を出た後バスケの授業で痛めたヒザのケガの治癒のために一年神戸の専門学校に入るのを遅らせたんだけど、その間は本当に全く何もせず延々物思いに耽ってたのと友人からプレステを借りてひたすらff7をやっていたくらいだった。ナイツオブラウンドが2桁の個数になる頃にはもう別に自分の将来の事は捨てていたし、人の為に生かされている自分を呪ったりしょうもない感情だけに支配されて生きてきた。そんなカスみたいなしょうもない暮らしをしてきた(誰かの養いの上に成り立ってるのにね)自分でも、ギターは弾けるんだって知ったし(あんなもんノリだけだ)、この間、心の底から笑える事も知った。後者は本当に嬉しかった。もう笑えないんだと思い込んでいただけなんだって気付く事が出来て良かった。自分にどれだけの力があって何が出来るのか試したい。けれども、それを憚られるような状況。何かを得る為に何かを完全に捨て去ってしまう事なんか選べるはずが無い。全部掛け替えの無いものだもの。甘いんでしょう。けれどもそれが自分なんだし。無理したくない。捨て去ってまで得られるものに価値はあるんでしょうか。でも挑戦したい気分は抑え切れん。今、岐路に立ってます。出張なんか、数の内にも入らない(書くんじゃなかった。失速する)。同世代、同年代のバンドがあからさまに火花を散らし合ってる時代に俺はぼけーっと見てるしかないのはさすがに辛い。しかしまぁ、話はまず、ギターが戻って来てからだ。