ゆっくりいこう

自分の為だけに書いています。意見は聞いていません。

  • そしてヒマにかまけて鬱病診断なんかやってみると重症だとかお医者へ行けとか言われる訳だ。要はセロトニンが死んでてどうやってもひねり出せないんだろう。ちなみに重症だと言われているのは学生時代からずっとなんだがな。成長しねぇな。薬物に頼って改善させるよりも悲しみに身を落とし込んで誰よりも深く落ちないと勝てないと思っているからだ。
  • クソ以下の精神と肉体と暮らしと。ではこの精神と肉体と暮らしを放棄すれば全ては丸く収まるのか?存在を止める以外に無いのか。最早進退すら窮まっている。
  • たのしいことが続いた罰。きっとそろそろ、悪魔が俺をさらいにやって来る。年がら年中死の観念に支配されているが、その時ばかりはどうしょうかと思ってしまう。そんな中、年に1回か2回ほど、躁病になる。その時は、完璧だ、という感情しかない。
  • 「芸術に賭けようとする程の者ならば、自己愛と自己否定は渦巻いている筈、それらを殺さずに、相克させよ」と、岡本太郎氏はその著書で語っている。多忙に甘えて衝突すらする時間が無い。要は切替がヘタなんだ。‥嘘だ。自分の人格はもう出て来ない。日々がただ流れて行く。
  • 芥川は「ただなんとなくある不安」の為に死んだらしい。そういうのが一番重いんだろうな。
  • 笑え。荊軻の様に。暗い顔している内はまだ平和だ。高校時代、そう、古典の教師に言われた時はハッとしたもんだった。まだ、落ち込んでるじゃないかと。腹を括れと。絶望まで行けと。独りだったあの頃。あの頃の自分が強かったのか弱かったのかもう分からない。